親戚のおばあちゃんの通夜
おととい17日、義母の叔母に当たるおばあちゃんが90歳で亡くなられた。その日の早朝からずっと、義母が自分の実家に帰ってしまい、子供達も今日はボウリングには行かせたが日舞の稽古に連れて行くのはやめてお休みにした。義母の叔母に当たるおばあちゃんは、実は双子の片割れで、亡くなられたのはお姉さんに当たる人。義母の母(だんなの母方のおばあちゃん・・・故人)が嫁いできた時には、既に3歳くらいで、義母とは親子の歳ほどの違いがある。(義母は、自分の母が40歳の時に生まれたらしい)昨年末から、お姉さんのおばあちゃんの方がずっと体調を崩されていたとかで、おばあちゃんちの近所に住んでいる義母は事有る毎によく呼び出されていたらしい。(^_^;)おばあちゃんは喫茶店を経営されていて、息子達に自営を任せ、それからはその喫茶店の上にあるマンションに、妹のおばあちゃんと住んでいた。(ちなみに、こちらの記事で紹介していた陶磁器の問屋さんのあるビルを所有してました)んで、先週の火曜日に、義母が呼ばれていった際に、急になぜか義母に「これ、アンタんとこの子供さんに持ってったてちょ~」と熨斗袋に入ったお年玉を下さったらしいのだ。しかもちゃんと二人分頂戴してしまったので、義母も「叔母さんが是非にって言うんだから、貰っとき~」というのでありがたく頂戴することにした。姉おばあちゃんからいただいた熨斗袋は、字も本人が書いたらしきボールペンで書かれた字で、そして袋の中はふっと薬のにおいが充満していた。なので義母に「大丈夫なのかなぁ、相当悪いんじゃ・・・」と言ってみたけど、「元気あるから、大丈夫でしょう~」というので、それはそれで話が終わったけど・・・その次の日、姉おばあちゃんからまた義母のところに電話があったようで、隣の市のおばあちゃんたち行きつけのお魚の美味しい和食のレストランへ行き、一緒にランチしたらしいが、姉おばあちゃんはやたらハイテンションで元気はあるものの、刺身一切れ食べただけで全く受け付けない状態で、「このところ食べられない状態のようで、それなのに『刺身の店へ連れていけ』って言うんで一緒に行ったけど、食べてなかったからなぁ・・・」と義母が言っていた。そして、土曜日になって、ボウリングに連れて行くのに出かけようとした時に、朝早い時間帯なのに既に義母が居ないのでどうしたのかなぁと思いつつも、そのまま過ごしていたら、携帯に電話が入り、『叔母さんが亡くなったので、今日の日舞は行けないのと、ご飯も一緒できないので当分いい』という内容だったので、ビックリだんなの元にも連絡が行ったらしく、私も子供達を迎えに行った後で慌ててご飯の支度と日舞の方へお休みの連絡をした。それから日曜日の通夜にはだんなと私も参列しようということになり、支度を慌ててした。子供達の服の準備もしようと思っていたのだが、義妹からの電話で日曜日の午後は子供向け劇に連れて行ってもらう約束だったのをうっかり忘れていた私達、子供達は義妹にお願いして(義妹は通夜に行かないことになったので)、夫婦だけで参列することにした。やっと今朝になって義母が帰ってきて、簡単に話し合いをして、また義母は慌しく出かけていったので、私達もいろいろと用意をした。だんなは子供達と義妹を車で送っていってその足でお供え物を買いに行き、通夜に行く準備をして、夕方一緒に出かけていった。通夜にはいって、今時の葬儀事情を見ることになってビックリものすごい手際よく順番に進行されていき、身内と一般に焼香場が分かれ、最後にいつの間に作られていたのか(^_^;)「●●さまを偲んで、これより『思い出のビデオ』を上映いたします」というので何かと思ったら、季節の移り変わりの景色のイメージ映像とともに、おばあちゃんの写真が(でもさすがに、50代からの物しかなかったけどね・・・)スライドショーのように上映されててまたビックリ今時のってスゴイね・・・そして、通夜式が終わってからは身内の方にも挨拶をして、立ち話をして、帰っていった・・・もうちょっと、姉おばあちゃんにはあと10年以上、長生きしていただきたかったな・・・そうすれば、きんさん・ぎんさんに続く「双子のおばあちゃん」となったかも・・・おばあちゃんたちにも「100歳まで、きんさん・ぎんさんのように長生きしてもらわんとね~」っていうと「ありゃムリだわな~」と返して笑っていたというおばあちゃん・・・ご冥福をお祈りいたします。