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カテゴリ:北海道スピリチュアルイベント
間があいてしまいましたが、函館ツアーのつづきです。
室蘭からまた高速道路にもどり今回の候補地に上がっていた黒松内、長万部(おしゃまんべ)という土地を感じながら八雲神社へと向かいました。 参拝後、みなそれぞれに境内の中で気を感じたりお祈りをしたりした後は、左にキラキラ光る海を眺めながら海沿いの道を走り、駒ケ岳の麓を抜け、函館の少し前の七飯町まで向かい「ゆうひの館」という温泉に入り、函館入りしました。 函館が近付くにつれひめのさんは骨を切られるような痛みを感じ、それはこのツアーの間ずっとひめのさんを苦しめることになりました。 この日はもうすっかり暗くなってしまいましたが、金森赤レンガ倉庫などのベイエリア、ハリスト正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会などが立ち並ぶ元町エリアを駆け足で見て回りました。ライトアップされた街は美しくロマンチックでありました。 そして函館山にロープウェイで登り、100万ドルの夜景といわれる函館の夜景を見ながら、この土地で起きた出来事に思いを馳せ、感謝と祝福、癒しのお祈りをしました。 函館は今年開港150周年の年にあたります。 ペリーの4隻のクロフネが箱館にも訪れ、それから5年後、箱館は 横浜・長崎とともに世界に向けて開港され、いっきに海外の人・もの・文化が入ってきました。 いま函館の西部地区に残るハイカラで美しい街なみはペリーの来航がきっかけになったと言えるでしょう。 また函館は民間の調査によりますと、魅力のある街ランキングの今年度第1位になりました。 http://mediajam.info/topic/1037628 異国情緒があり景観も良いこの街はとても魅力的であると思います。 しかし歴史をたどってみますと、もともとこの地に住んでいたアイヌ民族とあとからこの地にやってきた和人との争いは北海道のほかの地域同様、道南と呼ばれるこのエリアの各地でも起きています。 また箱館は戊辰戦争の局面の中で新政府軍と旧幕府軍の最後の戦い、箱館戦争が起きた場所でもあります。 また昭和29年の洞爺丸台風のときには 青函連絡船洞爺丸が遭難し、1139名の犠牲者が出ました。 これは「タイタニック号」、「サルタナ号」の事故に次ぎ、戦争による爆撃を除けば世界海難史上3番目の規模であり、「洞爺丸」とともに、「第11青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の連絡船4隻も沈没しました。 実に乗客と乗組員合わせて1、430名の命が失われました。 この出来事は陸が見える函館湾内の出来事でした。 この事故を繰り返さないという決意が青函トンネル事業を現実のものにしてゆきました。 さらに函館は度重なる大火によって幾度となく街を焼失しており、多くの方が犠牲になっています。 焼失戸数が1,000戸を越す大火は明治から数えると約10回も起きています。 昭和9年の函館大火は瞬間最大風速30メートル以上ともいわれる強風の影響で、火は瞬く間に広がり、22667世帯死者2166人、行方不明者662人、負傷者9485人を出し、当時の市内約3分の1に当たる416万平方メートルを焼き尽くし、市役所、警察署、裁判所、税務署、商工会議所、丸井百貨店、お寺や学校なども焼失し未曾有の火災となりました。 また昭和20年には空襲をうけており、青函連絡船13隻が爆撃を受け、乗組員を始め、市街地でも多くの人々が亡くなりました。 こうして振り返ってみますと、開港してからの約100年くらいの間に、戦争や災害が非常に多く、これでもかこれでもかというくらいに市民に襲いかかっています。 幾多の悲しみからその都度立ち上がり復興させていったこの函館の人たちの頑張りには本当に敬意を払います。 函館の歴史の中で生きてきた人々を心から癒します。 今では、先に書きましたように魅力的な街No.1に輝いたわけですから本当に素晴らしいと思います。 いつもありがとうございます。 みなさまに光のシャワーが降り注ぎます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.22 02:06:24
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