あの頃
ニュースの天気予報も、気象庁のHPも、更には職員室の壁にぶら下がっている寒暖計も見たくない日々が続く。「この部屋の気温だったら、体温計でも計れるわね」そう言う保健の先生の顔は、まだ仕事開始から1時間しか経ってないのに、疲れの色が滲んでいた。試験監督で教室に行っても、教室の中には昼間の熱気が残っていて、夕日さえもが気温の上昇に貢献しているような気さえしてくる。こんな中で期末試験を受ける生徒も気の毒だが、昼間の生徒はもっと暑い中で受けているんだろう。試験監督の合間、昼間の生徒が職員室に持って行き忘れた学級日誌を開くと、オレンジのペンで「あつー あつー あつー バカになるー」と書いてある。全日制の3年は、この暑い中、数学の試験があった模様。いつもは乗車率が5割弱の通勤電車も、ここ数日は乗車率が一気に上昇している。試験で、生徒が早く帰宅するからだ。電車の中は、つかの間の開放感に浸っている生徒の明るい声で満ちていた。僕も高校生のころは、試験中は2,3時間で学校が終わるのが嬉しくて、いつもとは見慣れぬ時間帯の街の風景にさえも開放感を感じていた。試験が終わると、真っ先に自転車をこいで、公園の中にある市立図書館へ向かった。明日の試験の勉強をするためではない。本を借りるためだ。図書館で本を1冊見繕ってから帰宅し、母親の用意した昼食を食べ終わったら、2階の自室に籠もって、さっき借りてきた本を読み始める。太宰治、夏目漱石、村上春樹、池澤夏樹、池波正太郎、宮脇俊三、島田荘司、アガサ・クリスティー、……あの時ほど、本を読む楽しみを実感できたことはないような気がする。そして「逃避」という言葉も、あの時に学んだ。日が傾き始める頃になると、さすがに試験のことが気になり始め、本を閉じて机に向かった。明日の試験に向けて勉強を開始するが、時々、本に戻ってしまう。真面目に勉強しなかったことを後悔するのは、次の日、試験が始まり問題文を目にしたとき。本一冊を読む時間があれば、その間にどれくらいのことを憶えられた? 練習問題を何問出来ただろう? だが、その日の試験が終わると、僕はまた図書館へ向かう。そして昨日目を付けておいた一冊や、棚の中で自己主張を始めた一冊を手に取るのだ。学生だったのに、学習という言葉とは縁遠かった、あの頃のこと。