何でも可能だとしたら、あなたが欲しいものは
「そんな、人間なんて一様ではないんだから個別にするんでないかぎり誰もが転換できるなんてあるかいな」というのがそれまでの私です。受けてみたら、そんなことはどうでもよくなってしまいました。アハハ。白か黒か、右か左か、良いか悪いか、…いつもどちらかにしなくてはいけないような気になっていながら、ぼんやりとなんかおかしいと感じていましたが、どちらかじゃなかったんです。「なんて自由なの!」それまで引っかかっていて自分で難しくしていたことのタネが見えました。参加者は、実際に参加する前に、何でも可能だとしたら、あなたが欲しいものは何ですか?というのを書類に書き出し、あらかじめ送っておきます。精神科で投薬中の人は参加できません。健康に心配のある人は相談すれば参加できるよう配慮してくれます。リードする人が前にいていろんな見方やエクササイズと言われる練習を提供してくれます。参加者は椅子に座っていて自分の問題を扱います。いいたいことは手を上げて話したり、感じたことを参加者同士交換したりします。問題に関係ないことをやっているようでも、全てつながっています。こいつはすんごいテクノロジーだ!と思いました。映画のストーリーが構成されているように、一つ一つのことが他の参加者にもそれぞれに目の鱗を落としていく段階として構成されています。大阪では年に3~4回、東京では年に6~7回あるようです。しかしそのコースの最後に「素晴らしいコースでしたね。あなたは人間としての入口に立つことができました」えっこれで大団円じゃないの? 結局やっぱりあたしは騙されてお金を出さされるわけ?と思いましたが、どうやらそこでやめてもいいらしいです。繰り返し薦められたにしても、決めるのは自分だってつかんだんですから。いままではそこで自分を売リわたしていたんだ、と気がついたのだから。次は未来をモノにするために邪魔しているものを整理して、人のためだけでなく、自分の望む未来に向かうためのコースです。そのことのために自分にとっての大金を出すことになったのはケチンボの私としてはくやしいことなのですが、人目が恐くなくなったり、過去の失敗を未来にもするのではという恐れが「単に恐れているだけ」と区別できたり、なにより「自分がこうなりたい」(それは、みんなから愛されている人とかでもいいのです。自分が引っ張られること)という未来に向かう自分に喜びがある、これは使える!という支払った以上の成果があるので「やっぱり受けてよかった」と思ってしまうのでした。抵抗するためにパワーを使ってたけど、やるべきところとは違うところに使うのは、やっぱもったいないわ。(もったいないオバケは健在です)