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テーマ:中国&台湾(3304)
カテゴリ:旅行
2005年8月末から9月始めに行った旅行記の続きです。(今までの一覧)
アスターナ古墓群を出た後、高昌故城に向かいます。 6世紀ごろの高昌国から天山ウイグル王国時代を経て、およそ1000年の間、この地域の都だった場所です。 総面積はおよそ200万平方メートル。周囲は約5kmに及ぶ、大きな都市の跡。 灼熱地獄の中にある遺跡で、歩いて見て回るのは困難なため、入り口には観光客向けのロバ車が待機しています。 このロバ車に乗って、内城まで連れて行ってもらいます。 確か往復20元ぐらいだったと思います。 ロバというと、なんだかのんびり走りそうですが、それはロバを侮りすぎでした。 後ろにくっついている客車に8人ぐらい(進行方向横向きで4人ずつ腰掛けます)観光客を乗っけて、御者が”チョッチョッチョッ”と鞭を入れていくと、結構スピードが出ます。 意外と力持ちなんですね、ロバ。 荒涼とした大地の上に、奇岩のように風化してしまった、かつての建物跡が見られます。 内城へ到着したようです。 ここで、ロバ車を降りて、ここからは徒歩で内城を見学します。 ラクダも横で待機してますね(^^;) ここからが、よく保存されている場所になります。 内城へ入って右手に見えるのが、講堂の跡です。 上部が丸く造形されています。 高昌国の時代には、インドに仏典を取りに行った玄奘三蔵がこの街に滞在していました。 玄奘三蔵もこの講堂で説法をしたのだと伝えられています。 その内部の壁はこんな感じ。 日干しレンガを積み上げて建物を造っているんですね。 乾燥地帯だからできる建築法です。 そして正面に見えるのが、仏塔の跡です。 モンゴルの統治下に入るまで、仏教が栄えていたこの都。 仏像をこの仏塔の側面のくぼみ部分に収納していたようです。 しかし、残念ながら現在は残っていません。 大変惜しまれるところです。 内城の見学を終えて、ロバ車のところへ戻ります。 遠くには火焔山が見え、手前にはラクダがいます。 この街の環境をよく表しているようです。 先ほど乗ってきた、ロバ車が待機しています。 しかし、ロバの中にも要領が良いというか、のんびり屋のロバもいるようです。 なにしろ、この高昌故城も暑いのです。 人間が暑ければロバだって暑いに決まっています。 別のロバが牽いている客車の幌の下に入って、涼んでいるロバを発見! 気持ちは分かるけど、何だ、このやる気のないロバは(^^;) #え、誰かのプロフィールで見たことがある?きっと、似てるんじゃないですかw 再びロバ車に乗って帰ります。 帰り道になると、中国人観光客も慣れてきたのか、ロバ車の御者と会話をしています。 観光客:君の月の給料はいくら? 初対面でも、金の話をする。。。 「他に聞くことないんかい」とツッコミを入れたくなりましたが、これぞ、チャイナスタンダードだなぁ・・・と妙に納得したのでした。 #確か、上海人の団体だったような。。。 無事、入口まで戻ってきました。 高昌故城、見どころは限られていますが、面白い場所でした。 ただ、中国人観光客が少ない時間帯に行くことをお薦めしたいですねぇ。 ・・・うるさいんですよ(^^;) 次は、いよいよ沙漠へ向かいます。 続く。 いよいよ沙漠へ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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