<華泰茶荘と遊茶の開店>
どんなに情報が流通しても、身近なところにお茶を購入・味わえる場所が無ければ広まりません。
ちょうど出版ラッシュが起こる前後に、品質の高い中国茶を扱う新しいスタイルのお店のオープンが続きました。
身近で中国茶に触れられ、良質な茶葉を入手できるお店が増えた、ということもブームの一翼を担っています。
新しいお店がオープンすれば、雑誌などでも採りあげられ、またブームが広まる・・・という良いスパイラルが生まれていたようです。
まず、1996年、東京の芝大門に華泰茶荘がオープン。
品質の良い台湾茶が手軽に買えるようになりました。
2000年には茶館も併設した渋谷店を開業します。
そもそも、ここの本家である林華泰茶行は、卸売り主体の問屋然としたお店で、原則台湾茶のみ。
それも比較的リーズナブルなお茶が得意分野です。
が、この日本店は、当時の書籍で紹介されていたような日本での中国茶の飲まれ方に合わせています。
さまざまな種類の中国茶を取り揃えたり、珍しい台湾茶や高級茶を揃えたり。
台湾の店とはある意味、正反対・真逆のコンセプトです。
当然、そのノウハウは無かったはずなので、日本オープン後に猛勉強と仕入れルートの開発をしていたわけです。
日本に進出したものの撤退するケースが多い中、今日まで続いているのは、このような現地化の努力があったからだと思います。
見逃されがちですが、ここはもう少し評価されても良いのかな、と思います。
続いて、1998年には遊茶の表参道ショップが開店します。
このお店は、「中国茶は本当は美味しいのに!」というお茶好きさんたちの沸々とした思いからオープンしたお店です。
バックボーンの無いところからのお店づくり。
しかも黎明期ですから、立ち上げは本当に大変だったのではないかと思います。
このお店は、表参道という場所柄もあり、中国茶のイメージがガラリと変わるお店だったのではないかと思います。
東京に上記2軒が開店したインパクトは、すこぶる大きかったのだろうと思います。
オープン後も、現地の茶業機関(中国茶葉協会、中国茶葉流通協会等)との交流を続け、かなり正確に現地事情をキャッチし続けています。これは簡単にできることではありません。
この他にも、東京では茶農家直接買い付けにこだわる今古茶藉さん(1998年)、阿里山の茶農家さん直営ともいえる三宝園さん(2000年)など。
大阪では、無茶空茶さんが教室を始められていたり、名古屋のL'O-Vuさんも2000年スタート。
広島の姫茶伝さんは1998年に営業開始です。
こんなふうに今に続く、有力なお店の多くはこの時期に集中して開業しています。
こうしたお店のオーナーさんたちは、元々は茶業界とは縁の無かった、お茶好きの人たちが多かったように思います。
分からない世界ではあるけれども、”中国茶の魅力を伝えたい”という使命感を持ち、オープンされたわけです。
立ち上げから何まで、それこそ無我夢中で取り組まれた結果が今日の礎を築いたのだと思います。
一方、老舗の部類に入る横浜中華街の悟空さんも、喫茶を併設した新機軸の店舗、悟空茶荘を2001年にオープンされています。
このへんはさすがですね。
<品質の良いお茶を知識や情報とともに>
これらの”セカンドウェーブ”ともいうべきお店の傾向として、
「良質な茶葉を扱う」
「多くの種類を取り揃える(多品種少量輸入)」
「お茶の効能推しをしない」
「お茶にまつわる知識や淹れ方を伝達する」
という特徴があります。
良いお茶は当時でも、それなりの値段がしたものです。
とりわけ、多品種少量輸入となると、どうしても輸入にかかる1gあたりのコストは重くなります。
お茶を1トン輸入するのも5kgを輸入するのも、通関手続きは一緒ですし、検査費用も変わりませんので。
#スーツケースに放り込んで持ち込めば、このようなコストはかかりませんが、それを販売するのは食品衛生法違反です。
結果、それまで流通していたお茶(500gで1000円のような特売感覚のお茶)とは、だいぶ値段が違うものになります。
そもそもの茶葉の価格が全然違うので、50gで数千円という値段のものも棚に並ぶわけです。
初めて見た人は大体カルチャーショックを起こします(←私もそうでした)。
日本では、こうした高級なお茶を買い求めるという習慣は、ごく一部の方を除いてはありませんでした(そして、今もありません)。
お茶があまりにも身近にありすぎるために、本来よりも価値が低く見られがちなんですよね。
お店に入れば無料でお茶出てくるし、スーパーの緑茶は100gで500円を切ってるし。
もっとも、これは消費者側だけの問題で無く、従来の流通側でも「日常茶飯」という言葉を、どうも過剰に解釈してしまうケースがあるようです。
結果、「日常的に飲むものなのだから、お茶の値段は安くないとダメだ」とか「高いお茶を売るなんて、けしからん」とまで言うお茶屋さんも結構いました(今でもいます)。
良いものをつくる作り手さんや流通の担い手さんにとって、こうした旧態依然とした考え方は、実に頭の痛い問題です。
こんな状況でしたから、手頃なお茶を仕入れる努力をするのはもちろんですが、飲み手の方のお茶への認識を変えることにも、こうしたお店は取り組む必要がありました。
「あまり馴染みの無い、良質なお茶をどうやって飲んでもらうか?」と考えた結論。
それが「知識や情報を熱意を持って伝え、お茶の良さ・魅力を理解してくれる人を育てていく」というスタイルでした。
はじめは、購入してもらったお茶の本来の美味しさをしっかり味わってもらうための淹れ方。
そんなベーシックなところから始まり、お茶の歴史や文化、製法や産地の様子、気分に合わせた楽しみ方など。
お茶にまつわる様々なお話を丁寧に伝えていくことで、お茶の魅力に気づいてもらうわけです。
これはお茶の価値を高め、理解してもらう活動とも言えるかもしれません。
従来のお茶の販売店から見たら、極めて非効率なやり方に見えます。
よほど同業者組合でも組織して、そこからスポンサーフィーでも払い、「このお茶は○○に効く!」とマスコミに採りあげてもらった方が、手っ取り早く売上は上がったでしょう。
その方が、お店側の苦労は遙かに小さくてすみます。
しかし、「それでは一過性で終わる」というのは、これまでの中国茶の歴史が証明していました。
実際、2003年には伝説的なテレビ番組『あるある大事典』で「凍頂烏龍茶が花粉症に効く!という話が採りあげられ、一時的に凍頂烏龍茶ブームにもなったのです。
が、案の定、そのブームは長続きしませんでしたし、「これが凍頂烏龍茶?」というような紛い物のお茶が流通するようになりました。
品質の良いものを扱っている人にとっては、迷惑以外の何者でもありません。
効能を煽れば、一時の売上は上がるかもしれませんが、本当の意味でのファンを増やすことには繋がらないのです。
そんなわけで、”単なるお茶の販売店”というよりは、”茶文化を伝えるお店”の奮闘が、この時期から日本各地で始まったのです。
続く。
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