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中国茶・台湾茶と旅行 あるきちのお茶・旅行日記(旧館)

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2016.01.13
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カテゴリ:旅行
<大禹嶺のあれこれ>

バスで梨山の街を出発。大禹嶺までは片道30分ちょっとかかります。
地図で見ると、直線距離では近いのですが、谷を避け、山に沿って道が付いているので、道のりは結構あるんですね。

台湾の地方に行くと、場所がどこにあるかを示す場合に、省道の何Kmポスト付近にあるか、という表現があります。
大禹嶺のお茶が語られる際に耳にする、105Kとか103Kというのは、それぞれ、105km・103kmポスト付近にある茶園、ということになります。

いわゆる本家の大禹嶺の茶園というのは、最も古くから開発され、大きな面積を占めていた105Kの他に、103K、102Kなどに茶園が存在していました。


梨山の街を出てしばらくすると、碧緑渓という場所を通過します。
このへんにも割と大規模に茶園がありました。大体90Kぐらいのところです。

90Kというと、いわゆる大禹嶺からは10Km以上、道のりでは離れています。
が、このへんの茶園のお茶も大禹嶺として売られていることは多いですね。
私が6月に台北で購入した大禹嶺茶も90Kのお茶でした。
#90Kと書いてあったので、ある意味正直なお店ですし、美味しいので全く問題無いのですが。

途中、派手に崖崩れをしている場所がありました。
工事をしているときは、1時間に10分間しか通行できないそうです。
脆い岩石でできた山なので、大きな地震や台風で簡単に崩れてしまうんですね。
政府が違法な森林伐採や果樹・茶樹栽培を規制する方向に行くのも、これと無関係ではありません。


<大禹嶺103K茶園>

深い山の中に入ってしばらくすると、時折、道路のそばにポツンポツンと小屋のようなものが見えてきます。
大禹嶺の茶園に近づいてきたようです。

到着したのは、大禹嶺103Kの茶園です。
が、省道8号線の上の斜面に目をやると、このような景色が。

103Kの省道8号線の上は伐採済


元々はお茶の木あるいは果樹があった場所ですが、このように伐採されてしまっています。

そうなんです。

9年前にも反対運動がされていましたが、遂に茶樹や果樹栽培を行っている農家さんへの執行がされていたんですね。
理由は後述しますが、環境保護の名目と土地の使用用途の問題です。


大禹嶺の多くの場所は伐採を受けてしまった(もしくは執行予定)ため、2015年の大禹嶺の春茶は産量が激減しています。
2014年には約1万斤(6000kg)の産量があったそうですが、2015年の春の時点では約半分になったとのこと。

そんななかでも、ここの103K茶園の一部は私有地にあるということで、伐採を免れたのだそうです。

他に残っているのは、最も歴史があり、規模の大きい105K茶園だったのですが、大変センシティブな時期ということで、今回の訪問は叶いませんでした(そして、2015年11月に大部分が伐採されてしまいました)。

103Kの茶園は、急斜面を下りたところにあります。
雨で濡れていたこともあり、足元は悪く、慎重に斜面を下りていきます。

急な斜面を行きます


山の天気は変わりやすい、と言いますが、このくらいの標高になると、晴れていたかと思っても油断できません。どこからともなく、雲が現れ、雨になるという感じです。
華剛のスタッフの方によると「5分で天気が変わる」とのことです。
お茶の栽培もそうですが、製茶にとっても非常に難しい天気の場所ですね。それなりの設備が必要です。

大禹嶺103Kの茶園がこちら。

大禹嶺103Kの茶園


深い森の中に囲まれた茶園という感じですね。

茶園の茶樹


茶樹を見ていても葉に厚みがあり、なんというか潤いがある印象の茶葉です。
同じ梨山茶区ではあるのですが、周辺の環境がまるで違うので、同じ品種でも育ち方は違います。
このへんの微妙な差が、やはりお茶にも出てくるので、大禹嶺は大禹嶺なんですよね。


<伐採された大禹嶺102K茶園>

梨山の街への戻りがけに102K茶園にも寄ってみました。
こちらも大手の会社が製茶を手がけていた茶園で、小屋などがあったそうなのですが、今ではこのありさま。

104Kの茶園は大規模に伐採されたまま


伐採しただけでして、法面の保護なども特にされていません。
環境保護が名目だったはずですが、このままだと余計に土壌の流出とか、崖崩れが心配のような気がします。
最高峰の茶園を潰すことでの見せしめが目的だったのか、どうも一貫性を感じない政府の対応です(日本でも良くありますが、台湾では結構多いパターン)。

ほんの僅かに残っている茶樹も、すっかり雑草に埋もれています。

少し残った木もあります


今年の初めに伐採されたとのことですが、それから1年経たずで、このような状態になるわけです。


<土地の使用目的の問題か>

諸説ある大禹嶺が伐採になってしまった理由ですが、色々な報道を見てみると、政府側には執行に足るだけの十分な根拠があるようです。

それは、「国有林を林業目的で借りたのにもかかわらず、果樹栽培や茶樹の栽培を行った」という主張です。
そもそも、やっちゃいけないことでしょ、というわけです。法治国家としては当然のことです。


この問題を知るには、少々、歴史を紐解かなければなりません。

梨山を通っている省道8号線は、中部横貫公路という名前の道で、蒋介石とともに台湾に逃げてきた退役軍人(台湾では「栄民」と呼ばれます)の方々によって開発が行われた道路です。

言うなれば、失業対策の公共事業でできた道路です。
国主導の道路なので、道の周囲は基本的には国有地となっています。

大変な難工事で多くの犠牲者を出した中部横貫公路。
花蓮のタロコに行かれると、それを祀っている廟もあるので、ご存じの方も多いかもしれません。

さて、道路が完成した後、当然、道路工事の仕事は無くなります。

しかし、大陸の各地からやってきていた、彼ら。
ふるさとは海の向こうで戻るわけにもいかず、かと言って、台湾には帰るべき場所がありません。

そこで、この土地に留まり、一から開拓をして農業を始める人たちもいました。

その流れで政府が国有地を使用して、彼らのために作ったのが国営の福寿山農場だったり武陵農場だったりします。国営の開拓農場です。
なかには農場には入らない、あるいはそこから独立したい人が、国有地の使用許可を得て、林業などに携わるケースもあったようです。

今回の問題になっている茶園は、大体こうした経緯で貸し出されていたわけです。
彼らは蒋介石の忠実なる部下たちであったわけですし、ふるさとに帰れない、非常に気の毒な境遇でもあります。
何かあっても大目に見る風潮もあったのかも、と思います。

当初は申請通り、林業を行っていたのかもしれません。
が、林業はそんなに儲かるものではありませんし、輸入材に押されるのはどこの国も一緒。
なので、生活のために果樹栽培を行ったり、茶園に転換した例もあったのだろうと思います。

それも、上記のような理由で(なにしろ、相手は栄民です)黙認されてきた、というのが実際のところなんじゃないかと思います。
たらればですが、用途変更申請をどこかのタイミングでしていたら、結果は変わっていたのかもしれません。


時代は過ぎ、大陸から渡ってきた栄民の人たちも亡くなられて、次の世代の人たちが相続するようになってきています。初代は大目に見ても、二代目は、というのもあるかもしれません。
さらには、話題になった映画「看見台湾」で環境破壊の現状が浮き彫りになったことや1斤12,000元(600gで48,000円)という高値になったお茶へのやっかみ、はては総統選挙等々、様々な要因が重なって、このタイミングになったのかも、と思います。

法律的にグレーな部分があった大禹嶺茶が高値で取引される状況は、他の産地の方からすると決して面白くはなかったでしょう。
しかし、その産地が無くなったことで、これである意味フェアな競争になるとも言えます。
台湾の茶業全体という視点で見れば、健全な方向に行くかもしれません。


いずれにしても、大禹嶺の大部分の茶園は、2015年の冬茶をもって大部分が無くなりました。
大禹嶺は、もはや台湾茶の歴史の1ページになってしまった、ということです。
残念ですが、仕方ないです(でも、きっと代わりの産地がそのうち出てくるでしょう。台湾人、日本人が思うよりずっとしたたかです)。

それにしても、こういうタイミングのぎりぎりで訪問できたのは良かったと思います。
実に貴重な機会でした。


続く。


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Last updated  2016.01.13 22:26:09
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