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カテゴリ:理想郷プロジェクト(あったら、いいな)
市井の「女性が輝ける社会」が現実になるまえに、「女性が輝ける内閣」は達成されていることだろう。
そのためには、女性大臣には、優秀な補佐役を用意することも必要だし、人としての正しい生き方も身につけなけてもらわなければならない。 そういったサポートが十分であれば、ゆとりがもてて、女性なりの感性が発揮されると思う。 男どもと同じ器量で勝負するなら、男どもにやらせておけばいい。 西洋の女性議員の、女性らしい活躍を聴くたびに、バックアップ体制が整っていることだろうと、想像する。性別に関係なく、個人にできることには限界があるが、正しい分業がなされたチームならば限界を超えて行ける。メルケルさんは母ではあるが、理科系に広い知識をもっている母である。 「女性が輝ける」というのは、女性なりの感性と行動が、有効に発揮されるということ。 わずか数人の女性大臣のエスコート(磨きをかけること)もできない内閣が、「女性が輝ける社会」を叫んでも、紙に書いたお題目にしか見えない。「女性大臣をプロデュース」「マイ・フェア・大臣」なんてドラマも、ありではないかな。 さて、安倍内閣の女性閣僚が困り果てている局面はたいがい、なんらかの失言をもらしてしまったのちの、国会答弁。 「記憶違いでした。」「勉強不足でした。」と素直に応えればすむものを、妙な言い訳をして、ますますカオスにしてしまう。大臣という職責では、「素直に謝る」という選択肢はゆるされないのだろうか。 「間違ってしまったものはしょうがない。ちゃんと謝罪して、二度とこういうことのないように。」 総理がこういってくれたら、肩の荷も降りるはずだが。 男子のコケンにかかわるとか、そういう面倒なことをやっているほどヒマではない。 率先して謝罪の仕方を示せない総理なものだから、しかたないのかなぁ。 小泉内閣のほうが、大臣ひとりひとりが活かされていたように思います。 反省や失敗をしない人間がいたとして、まわりは親近感をもてるだろうか。 どんなに輝く宝石があっても、みなから目を背けられていたのでは、価値を活かせない。 海外の女性政治家が、本音で国民と対話する場面をテレビで見た。 女性議員が本音で語れば、女性の市民の多くが共感されると予測するが、間違っているだろうか。 女性が輝いている社会であれば、女性の支持は自然と集まるんじゃないかなぁ。現代社会ではね。 別案)無駄なことをしてしまった。最短の証明は、、、 「自分すら輝かない人物が、他者を輝かすのは無理!」 これだけでよかったんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月18日 19時52分00秒
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