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カテゴリ:日本&中国紙誌への投稿文
ウオアイツオングオ 我愛中国 06.9.30. 私は中国遼寧省丹東生まれの引揚者です。実は十年前に仕事をリタイアーして以来生まれ故郷の丹東にもう一度行ってみたいと思いながらなかなか行くチャンスが無く焦っていました。 4年前義兄に岡山市日中友好協会催行の洛陽ツアーに誘われて参加した事が切っ掛けで協会に入会し以後毎年数回訪中するようになりました。そして遂に2年前ネットで知り合った丹東からの岡山大学院の留学生と知り合い彼女が帰省する時連れて行って貰いました。その時は2月の極寒だったので心臓に持病を持つ私は些か腰が引けましたがまたとないチャンスだと思って決心しましたが行って良かったと思いました。 丹東 雪の鴨緑江と断橋 そして今年6月引き上げ後60年にして初めて私は先の大戦の敗戦当時住んでいた長春と引き揚げ船に乗船した葫蘆島にも長春会催行ツアーに参加して行って来ました。丹東は幼少だったので殆ど記憶がありませんが生まれた家のあったと辺りへ立つ事が出来ました。これは矢張りネットのメル友になっていたもう一人の丹東からの留学生が父親に頼んで旧満州時代の住所から調べてくれたお蔭でした。一方長春は十歳まで居たのでかなり覚えており住んでいた家や通った小学校などにも行く事が出来ました。 葫蘆島では引き揚げ船に乗船するまで待機した収容所に行った時も何となく覚えていたイメージが蘇り感無量になったものでした。運が良かったと言えば其れまでですが丹東に行く事が出来たのはこの二人の中国人留学生のお蔭ですが他にも私は中国での旅行中に多くの親切な中国人に助けられています。特に今年は葫蘆島から日本人が引き揚げた60周年の年に当り訪問した我々に対する葫蘆島市人民政府の厚情と便宜を頂いた事に対しても感謝したいと思います。 孤児になった姉妹の引き揚げ 葫蘆島港岸壁を離れる引き揚げ船 (古い写真は何れもネットから借用) 尚孤児になったこの姉妹は戦後数十年経った今日某新聞社の調査により生存が確認され孫にも恵まれた良きお祖母さんになっているそうです。 私は例え両国政府間に多少の不協和音があろうとも我々民間同士は今後ともますます友好関係を維持向上させていきたいと熱望しています。そして私は機会ある毎に中国訪問を続けたいと願っています。(投稿文には写真はありません) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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