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鴨緑江の街丹東生まれのブログ

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2007年05月02日
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岡山県日中懇話会友好訪中団(西安~敦煌)06.10.18~25.

石井岡山県知事の西安公式訪問と我々の敦煌観光

初めて参加した日中懇話会催行のこのツアーは岡山県が岡山県縁の吉備真備像を西安に建立した20周年の式典に石井知事や県議会議長等の公式訪問団に参加したものであるが岡山市日中友好会の会員も私を含めて3人が参加した。

先ずは公式行事である西安市人民政府主催の祝賀式典があり城壁の南門の開門式から始まって唐代宮廷衣装をした男女に導かれて西安市名誉市民の黄金のキーが授与され、次いで玄宗皇帝と楊貴妃ご臨席?の歓迎の鼓舞と雑技の宴が催された。

この後会場を吉備真備碑のある北門の吉備真備園に移し西安市市長の祝辞と岡山県知事の答礼挨拶があり全員が献花後代表者による植樹が行われて式典は終了した。翌日西安市内外の観光で私は法門寺以外は2度目だったが新しい発見もあったりして結構良かった。
吉備真備記念碑 縮小.JPG 石井知事と(西安お6.10.19)縮小.JPG

私達は陜西省全人代主任のご配慮で兵馬俑坑博物館で1号館の近くまでバスで入れたので長い道を歩く事も無く助かった。今回は館内の撮影が解禁になっていた。又兵馬俑を始めて発見した地元の農夫だった楊さんが来ていたが販売している写真集を買った人にのみサインをしてくれるとの事で写真撮影も駄目だった。

華清池では池の中にあった楊貴妃像が彼女と玄宗皇帝専用の浴場のある建物の前に引っ越していた。乾稜では今回も遥か彼方にこんもりと見える始皇帝稜を撮った写真はやぱり霞んでいた。

西安二日目はオプションで大唐鼓舞を鑑賞した。この度行った法門寺は漢代からの古刹で六角塔の地下宮殿から中国最大級の仏舎利が発掘され寺内にある博物館に展示公開されている。

尚西安市は近く空港のある威陽市と合併して昔の長安市の名前に戻ると聞いた。翌日は敦煌で先ず中国三大石窟の1つである莫高屈へ行ったが内部は薄暗く撮影も禁止だった。仏像に余り学識のない私は洛陽の龍門石窟を始めて見た時の方が感動的だった。

午後からは陽関、鳴沙山及び月牙泉を観光した。陽関は古代よりシルクロードの軍事、通商両面で重要関門だった所で今も烽火台跡が残っている。鳴沙山は砂漠の強風が音を立てながら造形したと言われているが歩くと砂がきゅきゅっと鳴るので鳴沙山と云われてもいるそうだ。月牙泉は鳴沙山の麓の三日月型の砂漠のオアシスで年々小さくなっているが千年以上も涸れることなく水が湧き続いている。
月牙泉 縮小.JPG 鳴沙山 縮小.JPG

翌日は更に西方の玉門関、漢代の長城、河倉城とヤルダン地形の魔鬼城を観光した。玉門関は西域に通じる重要関門でシルクと玉が交換されていたそうだ。玉門関と西域を守る兵士の食料庫であったが河倉城を結ぶ疎勒河沿いに断続的に残っている漢代長城は長城の西端である。魔鬼城の長年の風触によって出来た奇岩群には驚きだった。私はこの日始めて駱駝に乗ったが上下に入れて乗り心地は余り良くなかった。
莫高屈.JPG 駱駝に乗った私(敦煌鳴砂山、月牙泉(06.10.22)のコピー.JPG

敦厚からこの辺りへ来る道は舗装はされているのだが夏期の気温が最高50度にもなりアスファルトが溶けて洗濯板状になった道を数時間バスに揺れる事は年寄りにはかなりハードだった。敦煌最後の夜我々はホテルの近くにあった夜市を冷やかしに行ったが私は早めにホテルへ帰った。

明日は西安経由で最後の周荘観光を楽しみに早めに就寝した。所がこの夜中私は激しい下痢と腹痛に見舞われた。取敢えず持参していたバッファリンを飲み一応症状が治まった。翌朝又添乗員に漢方の痛み止めを貰って飲み西安空港まで一行と一緒に行ったが此処で痛みが再発し空港の医療室で看て貰ったら盲腸炎の可能性が高いと言われて救急センターで血液検査をした結果矢張り盲腸炎と診断された。此処でも薬を貰って飲み症状が治まったので一行とは一便遅れて上海に着いた。

夜半の10時過ぎ大きな病院に添乗員と行って看て貰ったら手術をしたほうが良いと言われた。しかし言葉の通じない所での手術は不安なので何とか明日の帰国まで保たせて欲しいと要請した結果その夜一晩入院して翌朝まで点滴のしっぱなしで兎も角帰国して岡山の病院で即手術。執刀医曰く「将に間一髪」との事だった。

しかし上海では殆ど症状が落ち着いていた感じだったので本人の意識にはそれ程の危機感は持っていなかった。手遅れにならなかって本当に良かった。但し楽しみだった水の都周荘観光に行く事が出来ず誠に残念だった。
尚添乗員の西上さん、スルーガイドの郭さんには言い尽せぬ程のお世話になり同行の方々にもご心配を掛けてしまいました。ここに甚大なる謝意とお詫びを申し上げる。謝謝
       
行きそびれた周庄の風景江南周庄の水郷.JPG





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最終更新日  2007年06月08日 09時11分46秒
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