あるTwitterでリビアを考えてみる1/4
amnkLibyaさんのTwitter。.参考:中東・エネルギー・フォーラム「カダフィ派・反カダフィ派・態度不明確派に別れるリビアの主要部族の現状」 http://bit.ly/fJOYfc 2011年2月26日 3:49:18 webから .参考:Foresight「中東諸国に走る社会的亀裂 リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか」 http://www.fsight.jp/print/10270 2011年2月26日 3:48:10 webから .ただし、カダフィが外国人の傭兵によって東部の反政府デモの鎮圧を行ったことは、「リビア人vs外国人部隊&カダフィ政権」という構図をもたらしてしまいました。このことで、キレナイカ地域にシンパシーを持たない人々や政府内部に対しても、現政権に対する拒否感を植え付けてしまったといえます。 2011年2月24日 5:28:22 webから .そのような文脈においては、「内戦」(国内において対立した勢力によって遂行される武力を用いた紛争)という表現はある意味で正しいでしょう。 2011年2月24日 5:22:34 webから .恐らく現在、東部を除いてそれほど情勢の悪化していない地域では、部族や地域的な勢力が、水面下の交渉や駆け引きを繰り返していると思われます。誰と組み、どの関係を強化すれば得策なのか。政府との関係を遮断するのか、維持するのか。どうすれば今後、政治的・経済的な利権を維持・拡大できるのか。 2011年2月24日 5:19:47 webから .トゥアレグ族の反政府的な姿勢に関しては昨日のTweet通りですが、情勢混乱に乗じた利権獲得・拡大の意図が見え隠れします。 つまり両陣営(特にカダフィ側)に対して、「タダでは味方しない」と宣言しているわけです。そしてこれはトゥアレグに限らず、他の部族に関しても同様だと思われます。 2011年2月24日 5:08:39 webから .このようなリビア南部フェザーン地域の独自性、自立性は、少なくとも現在までのリビア情勢に対する静観の姿勢と無縁ではないと思われます。 2011年2月24日 5:05:30 webから .フェザーン地域を拠点とする部族勢力は、地中海沿岸都市の勢力が及ばない砂漠地域、さらには南接するマリやチャド、ニジェールなどに影響力を有しており、このことは結果としてリビア政府の国内統治に大きく寄与しているわけです。 2011年2月24日 5:01:16 webから .「セブハから革命が始まった」と書かれた看板。セブハにて撮影。 http://yfrog.com/h2j7c9j 2011年2月24日 4:54:54 Yfrogから .そのため現在に至るまで、セブハとフェザーン地域はカダフィにとって特別な場所のようです。ジャマーヒーリーヤ革命を宣言(1977年)したのも、カダフィと同志達の考える新しい社会体制について述べられた『緑の書』(昨日の演説でも読んでいました)を執筆(1978年)したのもセブハです。 2011年2月24日 4:53:18 webから .カダフィは砂漠に囲まれたセブハで少年期を過ごしながら自身の思想を深めていきました。中学生の頃から、彼はエジプトのナセルの革命思想とアラブ民族主義に出会い、政治活動に参加するようになります。学校で友人達を誘いデモ活動を行うこともあり、頭脳明晰で成績は常に優秀であったようです。 2011年2月24日 4:48:13 webから .ちなみに、カダフィ親子が生活していた家「ダール・ムアンマル」は、今もセブハの街中に保存されています。 http://yfrog.com/h68leej 土造りの非常に質素なもので、体育用具置き場?程度の大きさです。 2011年2月24日 4:38:49 webから .セブハに保存されているカダフィの生家 http://yfrog.com/h68leej 2011年2月24日 4:37:27 Yfrogから .シルテの遊牧民であったカダフィの父親も仕事でセブハを訪れる機会は多かったこと考えられます。当時のカッザーファ族は貧しく、社会的地位も低かったのですが、教育の価値というものを心得ており、カダフィの両親は自身の食を切り詰めて息子をセブハの学校へ通わせたといわれています。 2011年2月24日 4:34:47 webから .そもそもカダフィ親子がシルテから800キロほども離れたセブハへ移住した経緯には、両都市の間に築かれていた交易の歴史が関係しています。サハラ砂漠北部のオアシスであるセブハからはナツメヤシやアフリカの産品を、遊牧民の拠点となっていたシルテからは家畜をそれぞれ売買していたわけです。 2011年2月24日 4:33:31 webから .では、地中海沿岸の小都市シルテの出身であるカダフィが、どのようにしてフェザーン地域(の部族勢力)に接近することになったのか。それは少年時代のカダフィの家族が、シルテから南部の都市セブハに移住したことをきっかけとしています。 2011年2月24日 4:31:29 webから .弱小部族の出身であり、トリポリとベンガジという二大地域勢力に、東西から挟まれているカダフィは、南部に位置するフェザーン地域と手を結ぶことで政治基盤の確立をはかってきたわけです。 2011年2月24日 4:26:53 webから .この地域は地中海沿岸部とは地理的に隔たっていたこともあり、古来よりフェニキアやローマ帝国といった地中海文明勢力に支配されることなく、砂漠の都市・遊牧民としての文化を維持してきました。 昨日概説したトゥアレグ族もその一つです。 2011年2月24日 4:25:26 webから .で、南部フェザーン。リビア一国だけを見ていては分かりづらいですが、フェザーン地域はサハラ砂漠の北端に位置し、各地のオアシスは、歴史的にサハラ砂漠の南北の文化圏、アラブ世界、さらに地中海を結ぶ交通・貿易の要衝としての役目を担っていました。 2011年2月24日 4:19:43 webから .これは今に始まったことではなく、カダフィが革命後に政治基盤を固めるまで、この地理的な不安定性は常に付きまとっていました。ベンガジは革命政権に対して敵対意識をむき出しにし、トリポリは弱小部族出身のカダフィに対して非協力的…そこでカダフィが活路を見出したのが、南部フェザーンでした。 2011年2月24日 3:49:28 webから .ただし、シルテがトリポリとベンガジという2つの大都市に挟まれている点に注意すべきです。今後トリポリと周辺の都市がカダフィと現政権の支配下を離れた場合、シルテ(とそこを拠点とするカダフィの一族)は東西から挟み撃ちに遭ってしまうわけです。しかも北は地中海で、南はサハラ砂漠です。 2011年2月24日 3:45:21 webから .さらに、シルテはUNESCOとアラブ連盟によって、2011年の「アラブ文化都市」に定められています(これまでは全てアラブ諸国の首都)。 これはシルテがカダフィの故郷であること、近年のリビアの急速な発展が影響していることは明らかです。 http://bit.ly/c9y5an 2011年2月24日 3:39:49 webから .2010年の秋にも、シルテでアラブ連盟とアラブ・アフリカサミットが開催されています。 http://bit.ly/bXOMNY http://bit.ly/erD5CL 2011年2月24日 3:32:11 webから .トリポリとベンガジに挟まれてシルテという町があります。ここはカダフィの出身部族カッザーファ族の拠点であり、左側の勢力図を見ても、この街がカダフィの支配下にあるとされています。小さな町で人口も少ないにもかかわらず、カダフィの故郷として、大きな会議施設などが設置されています。 2011年2月24日 3:24:56 webから .余談ですが、2009年に放送されたNHKスペシャルのドキュメンタリー企画『沸騰都市』の特別編「沸騰都市のそれから」では、ドバイから建材や労働者がリビアへ渡っていく様子が描かれていました。 http://bit.ly/6LG3wB 2011年2月24日 3:17:35 webから .首都トリポリには当然ながら政治・経済機能が集中しています。 経済の停滞しているUAEのドバイから建設資材や労働者を大量に受け入れており、中東・北アフリカにおける次なる発展の舞台として、未開発の豊富なエネルギー資源、広大な国土のインフラ需要が世界中から急激に注目を浴びていました。 2011年2月24日 3:13:50 webから .次に、西部トリポリタニア。トリポリタニアとはギリシャ語で「3つの都市(ポリス)」を意味し、紀元前から地中海沿岸部には都市が建設されていました。現在の首都トリポリの地下には、フェニキア、古代ギリシャ、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国などの遺跡が埋まっているといわれます。 2011年2月24日 2:58:39 webから .反カダフィのポスターを掲げる人々。真ん中の人が掲げているメガネのおじいちゃんは、かつての国王であるイドリース・サヌーシー。 http://bit.ly/h4k4ls 2011年2月24日 2:45:37 webから .イタリアのリビア侵攻、植民支配に対する抵抗運動のリーダーであり、 リビア独立の父として尊敬されているオマル・ムフタールも、ベンガジの出身です。このことは、当然ながらキレナイカ地域の人々のプライドの源泉となっています。 http://bit.ly/fRorJO 2011年2月24日 2:31:51 webから .まず、東部キレナイカ。 リビア王国の首都であったリビア第2の都市ベンガジを中心とした、反政府勢力の牙城です。キレナイカもベンガジも、恐らく1週間前までは日本で知っている人など極めてわずかであったと思いますが、あまりにも不幸な形で有名になってしまいました。 2011年2月24日 2:11:50 webから .先程紹介した23日時点でのリビアの勢力図に、リビアの地域区分を合わせてみました。これを切り口に、情勢の概説をしてみたいと思います。 http://yfrog.com/h6vg14j 2011年2月24日 2:06:05 webから.参考:Situation in Libya as of 23rd Feb 2011, showing areas of regime control vs. liberated areas. @iyad_elbaghdadi http://yfrog.com/h3un88j 2011年2月24日 2:00:29 webから