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テーマ:たわごと(26873)
カテゴリ:夢・希望・道・勇気
ある方のプログである感動物語を読みました。 たまたま私も存じています物語でしたので、その物語を別の視点から・・・ 『島原の子守り歌』『まぼろしの邪馬台国』の作者である宮崎康平さんのお話しです。 実は私は『島原の子守り歌』が大好きです。 何かにつけて歌います。 それで宮崎康平さんの事では様々な知識がありました。 (さだまさしさんも師と仰いでおられますね。) 早稲田大学を卒業し、文学に進みたかった彼のお兄様が亡くなり、長崎へ帰る事になり、島原鉄道をお父様の後、継がれたそうです。 その後、32歳で失明。 乳飲み子を一人かかえての時に出来た歌です。 宮崎康平さんは失明なさった後におっしゃっています。 『目が見えていた時と同じように生きようとするから難しくなる。 新しい人生を歩もう。』 その後、早稲田大学時代からの彼の課題でもある邪馬台国についての研究を15年に渡り行います。 その時、彼の目となったのは二度目の奥様である和子さんです。 そして『まぼろしの邪馬台国』が完成し、受賞する事になります。 後に彼が残された言葉は・・・ 『矢が飛ぶのは弓の力、男の業は女の力』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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