10月も後半にさしかかり、こちらは又寒さが増して来まして“名残の月”とは言い難いところではありますが、、それでも暖かい日もありましたり、去り行く夏の名残を惜しむ月であった事は間違いないでしょう。
この名残の月、「おもてなし」におきましては醍醐味と言いましょうか、極地といいましょうか、とにかく一番素晴らしいおもてなしが出来る月でもあるようです。
それは・・・夏が終わったといいましても、まだ暑い日がある、又夏だと思っていましたら、肌寒さを感じる、こういった季節の変わり目の「おもてなし」の気配りは、確かに毎日変化するものでしょう。
こうやって書いていましたら、前に読みました本の一説を思い出しました。
「今の人はあたりまえのことを知らなすぎる。」確か武者小路実篤の真理先生だったと思います。
そして・・・
この名残の月になりますと思い出します話があります。
小さい時に知らずに歌っていました歌・・・
ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壷に 追われて どっぴんしゃん
ぬけたら どんどこしょ 俵の鼠は米くってチュウ チュウ チュウ チュウ・・・
幼少の頃は意味も分からず、又何処で覚えたかも解らず歌っていました。
私は確か、母の鼻歌だったように思いますが・・・
いいえ、手を筒状にして、皆でこの歌で遊んでいた記憶も蘇りました・・・
覚えたルーツは、もう分かりません。
これは茶壷行列の事を歌ったものでした。
八十八夜(立春より88日目の日、だいたい5月2日頃)に摘まれたお茶は、茶壷に入れ(寝かせる?)11月の口切まで保管されます。
そして、その御茶壷の口切の時(11月・茶壷の口を切ってあけて、その年に摘んだお茶を飲み始める儀式)、この御茶壷は、大名行列さながらの行列で御茶壷道中があった訳ですが・・・
大名行列の主役が御茶壷で、御茶壷に土下座をしていたわけですね。。。
御茶壺行列に先んじて、茶壷街道が整備がされたり、街道沿いの農作業が禁じられましたり、その厳重さを物語っていますのは、屋根の置石さえもひとつ残らず取り払われたり、、又、行列の当日は炊飯の煙、葬儀、戸口の出入りさえも禁止されたという事です。
もしかしますと大名行列以上だったかもしれません。
御茶壷行列に出くわした場合、土下座し、どんな有力大名であってさえ、わざわざ籠から降りて道を譲ったのらしいのです。
この様子を歌ったのが、我々が小さい頃に口ずさんだ歌ですね・・・
“ずいずいすっころばし”は、転ぶ状況を指すもので、あわてふためくの意味だそうです。誰もが慌てふためいて逃げださずにいられなかった“茶壷”というわけでしょう。
“ごまみそずい”の解釈は、解りませんね・・・何方かお解りになる方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
沿道の住民はお茶壺の行列が来ると、逃げるようにして家々に逃げ込んで、戸口を固く閉ざし、通り過ぎるのを息を潜めて待っていたそうです。
“茶壷に追われてどっぴんしゃん”というのは、戸をドッピンシャンと閉じるという事のようです。
行列が通り過ぎると、ホッとしる様子が、“どんどこしょ”のようです。
俵の鼠が米食ってちゅうと言いますのは、炊飯が禁止されていたために鼠が俵のお米を食べてチユウと言っていたという事でしょうか?
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