メディテーション
本日も寒い一日となりました。本日、ある友人から体調不良における悩み事の電話を受けまして、その友人の話を聞いています間に、なぜか私の頭の中に『茶道』お茶を点ている私の姿が映像で浮かびました。そこで、彼女の精神状態に原因がある事を感じ、彼女は瞑想を前に良くやっていましたので、その彼女の瞑想を再度やって見る事を勧めました。そこで、私自身驚きましたのは、茶道がいつの間にか、私の中で瞑想に近い状態になっているという事でした。瞑想(めいそう、Meditation,メディテーション )とは、何かに心を集中させること。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。Wikipediaより勿論、私の言います瞑想は前者の日常的なものの範囲に留まるものですが。しかし、『道』を知る為の入り口にさしかかったのかもしれない喜びを感じました。先日、書籍【茶道史】のある一説が目に止りました。「何時の日に西洋は東洋を理解するであろうか。いや理解しようとつとめるであろうか」という問いかけをしたうえで、茶の湯が東洋思想の精隋であるゆえんを説いた。「今日、産業主義は、世界中いずこにあっても、真の風雅をますます困難となしつつある。われわれは従来よりもなおいっそう茶室を必要とするのではないだろうか?」という西洋との対比で出された天心の発言は、むしろ日本にこそあてはまるように思われ、的確な先見性に驚かされる。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!