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わたしの足跡

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2008.07.24
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本日は、夏らしい太陽が燦燦と降り注ぐ一日となりました。

一日遠出を致しましたが、冷房のない国に来まして、冷房が苦手になっています身体に一日中冷房の中・・・

酷い頭痛を吐き気で大変な思いをしながら自宅に戻りました。

さて、このような人間でありたいと思わせられるあるお話を・・・

******************************************************
運命の神様は心ばえのよい人にさえ、
時に過酷な試練を課すもののようです。


その年、1923年、彼は47歳の働き盛りであった。
母子二代営々40年の歳月をかけて築いてきた事業の総決算として、
羊毛原料から毛織物製品まで一貫生産の新鋭工場を
東京本所の地に完成したのである。


しかし、神様はなんと厳しい試練をこの会社に課したのでしょう。


従業員一同の夢と希望である
新工場のその竣工式の当日…


こともあろうに、日本の歴史に特記される
関東大震災に見舞われたのです。


新工場は、製品を何ひとつ作ることなく
一瞬のうちに灰燼に帰してしまったのです。


いったん散り散りになった従業員が
瓦礫と化した工場にあつまったのは
秋も深まった頃でした。


彼は皆に向かって工場再建を力強く呼びかけた。


世間の誰もが「Kさんのところはもうお終いだ」
と思ったほどの絶望的な状態の中で、
再建の方策を次々に指示をしていった。


その中になんとも素晴らしい言葉が出てくるのである。


「帳簿も焼けて何も残っていません。
 しかし、私たちの頭の中には
 債務の記憶が残っています。

 それぞれ手分けをして借りの明細を
 書き出して提出してください。
 どんな小さな借りもです。  

 人様からお借りしたものは
 何としてでも返さなくてはならないのです。」


なんと、10年かかって草の根を分けるように
債権者を探し出しては完済したのです。



膨大な借金のほかは無一文という極限的な状況の中で、
貸しには触れず、借りのことのみを指示した
彼の言動がどこから生まれたのか。


ただわかることは、入社間もない頃、
この話を先輩OBから聞いて以来、
時折人に語る都度、
私自身が感動に胸を塞がれるのと同じように、
70年前にも大勢の人を感動させ、
彼と彼の会社の「信用」を
決定的にしたのではないかと思うのです。



彼の人柄を愛する銀行、商社、取引先の
温かい励ましと手厚い支援を受け、
一年後には細々と生産を再開、
数年後には見事に復旧を成し遂げたのです。


彼とは現在のダイドーリミテッド(当時は栗原紡織合名会社)の
2代目社長、栗原幸八(くりはらこうはち)であり、
後世の従業員たちに「信用」とはいかなるものなのかを
行いをもって示した大先達なのです。


国家の存立と深く関わるような業種ではなく、
したがって国家権力の庇護等とはおよそ縁遠いところで、
ひたすら従業員のくらしの安穏のため、

今日よりは明日が少しでもよくなるようにと念じながら
代を重ねて115年生きてこられたのは
幸運の一語に尽きると思うのであるが、

二代目栗原幸八の信じ難いほどの行いによって
確立された「信用」もまた深いところで
生存を支え続けたに違いありません。


近頃思うことは、幸八にとって「あのこと」は
商売の算段でやったことでは毛頭これ無く、
彼にとって「信用」を失うことは事業を失うこと以上に
重大なことだったのではと...。



ある信用物語
(1994年PHP研究所発刊
 「トップが綴る元気が出るちょっといい話」より)

取締役会長 羽 鳥 嘉 彌


『クリックで救える命があります。』
この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳





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最終更新日  2008.07.26 01:12:06
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