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わたしの足跡

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2008.11.19
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最近、良く謙虚である事について考えます。

本日も考えさせれる事がありました。

そして、あるサイトに野口嘉則氏著 『心眼力 ~ 柔らかく燃えて生きる3 0 の智恵~』から
一部抜粋して記載されていました。

**********************************

私はさまざまな方とお会いしてお話をしますが、
学者でも経営者でも作家でも、
どんなお仕事をされている方でも、
一流と言われる方たち
はみなさん謙虚でいらっしゃいます。


その道では大家(たいか)とか大御所と言われるような方たちが、
自分の能力や地位に驕(おご)ることなく、
「私などは、まだまだ未熟です」とおっしゃるのです。


自分の才能や実績を誇示するようなことは、一切おっしゃいません。


その慎み深いものごしに接したときに、
私は深く感銘を受けるとともに、
自分自身の小ささを自覚して、
襟を正す思いになります。



『老子』の中に、
「上善は水の如し」という有名な言葉があります。


上善とは、最上の生き方のことですが、
それは水のようなものだというわけです。



私たち人間は、自分を上に見てもらいたいと焦ったり、
人と接するときも、自分のほうを
上の優位なポジションに持っていこうとすることがあります。


一方、水は自ら低いところへと流れていくので、
他と競争することがありません。


自ら低いところへ身を置こうとするこの謙虚さと、
どんな形にも変化する柔軟さが水の特長であり、
それこそが私たち人間にとっても最上の生き方だと、
老子は教えてくれるのです。


ふつう私たちは、何かで成功を収め、
それなりの地位や実績を手に入れると、
「自分がすごいから成功したのだ」と驕ってしまいがちです。


そして、才能や地位や実績を誇示したくなります。


しかし、このように謙虚さを失った状態では
、自らの生き方を深く反省することがないので、
人間として成長できません。


一方、超一流のレベルにまで到達する人は、
謙虚さがあるからこそ、
常に自らを省みることができ、
人間としてどこまでも深く大きく成長していけるのです。


では、この謙虚さはどこから生じるのでしょうか?


私は、謙虚さの源になるものは次の二つだと思っています。


一つは、“ おかげさまの精神” です。


おかげさまの精神とは、

「自分の力で生きている」と考えるのではなくて、

「自分は、水や空気や太陽のおかげで、
大自然のおかげで、ご縁あるたくさんの人々のおかげで
生かされている」と考えることから生じる、
“ 慎みをともなう深い感謝” です。


これは、「何かいいことがあったから感謝する」という
条件つきの感謝ではなく、
「今こうして生かされているだけでありがたい」という
無条件の、最上級の感謝です。


この精神を内に持つ人は、どんなに成功しても、
それを自分の手柄てがらと考えて自己満足するのではなく、
それを自分の役割や使命と考えて感謝します。


「おかげさまで、ここまで来させていただいた。
自分の役割があるというのは幸せなことだ。


さらに自分の役割を全うして、
世の中にもっと恩返ししたい」という心境になるのです。


こうなると、競争相手を意識することもないし、
仮にナンバーワンの状態になったとしても、
それに満足して止まってしまうことがありません。

このような心境になった人が、
どこまでも高みに上っていかれるのは当然かもしれません。




謙虚さの源となる二つ目のものは、“ 本物の自信” です。



私たちは、自分に自信をもてないときに、
才能や地位や実績によって自分を飾ろうとします。


そのままの自分ではだめだと思うから、
自分を他人から認めてもらうための証拠を集めたくなるのです。


そしていつのまにか、その証拠( 才能や地位や実績) と
自分を同一視してしまいます。


つまり、自分のアイデンティティ( 自分が自分である証あかし) を、
才能や地位や実績に置いてしまうのです。


だからこそ、自分の価値を証明するために
才能や地位や実績を得ることに必死になり、
それらを手に入れた結果、
「自分はすごい人間になった」と錯覚するのです。


この場合、
「才能や地位や実績を手に入れたからこそ、自分には価値がある」
という考えになってしまうので、
まだそういったものを手に入れていない人を見下げるようになり、
謙虚とは程遠い、傲慢ごうまんな人間になってしまいます。




一方、本物の自信を持っている人は、
「能力や地位や実績に頼らなくても、
自分の存在はそのままで素晴らしい」と感じているので、
自分を能力や地位や実績と同一視することがありません。



成功して能力や地位や実績が手に入っても、
「自分が偉くなった」と錯覚することはなく、
むしろ「たくさん与えられてありがたい」と感謝するようになるのです。




また、本物の自信があるからこそ、
謙虚ではあっても決して卑屈にはならず、
つつましさの奥から輝きが感じられるような、
そんな存在感を周囲に放つのです。



ナイチンゲールが書簡の中で、
「人間は賞賛を勝ち得ているときが、
最も危険なときである」と語っています。


また、『菜根譚』にも、
「順調にいっている時ほど、
慎みを忘れないようにしなければならない」
という意味の言葉が出てきます。



私たちは、人生が順調なときで、
まわりから高い評価を得ているときに、
謙虚さを失ってしまいがちなのです。

心しておきたいものですね。


一方、人生で大きな困難や逆境に直面したとき、
私たちは謙虚になるチャンスを与えられていると言えます。


それは、順調にいっていたときの
ありがたさに感謝するチャンスであり、
また、自らの生き方を深く反省して、
人間として大きく成長するチャンスなのです。



順調なときこそ謙虚になり、
また、逆境に出合っても謙虚になる。


そんな生き方を実践していった先に、
私たちは超一流と言われる人間になるようです。



  ※ 野口嘉則著 『心眼力 ~ 柔らかく燃えて生きる3 0 の智恵~』
  ( 野口嘉則 著、サンマーク出版)より




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最終更新日  2008.11.21 08:29:18
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