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カテゴリ:黄金の国ジパング・日いづる国
致知に素晴らしいお話が掲載されておりました。 <その4> 「おやじの弁当」/アサヒビール名誉顧問・中條高徳 ………………………………………………………………………………… 筆者にとって大事なお得意先であり、 長い交友の経営する「三笠会館」という有名なレストランが銀座にある。 その三笠会館より以前発行された『るんびにい』241号で、 故・樋口清之教授(国学院大学)の随筆が 戦前の家庭の姿、親子の生き様を語って余すところがない。 樋口さんの友人で、 よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。 その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。 彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。 彼曰く、 「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。 おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、 おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、 自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。 父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。 肉体労働をしている親が 子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。 これを知った瞬間、 「子を思う親の真(愛)情」が分かり、 胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。 その感動の涙が勉学の決意になり、 涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓ったという。 それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、 「お父さんの弁当の中身は少ないが、 お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」 などと発言しがちであるが、 それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と 生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。 この「おやじの弁当」の心こそ、 仏道で説く「陰徳」(いんとく)の妙法(みょうほう)であり、 「慎独」(しんどく)の実践なのである。 昔は、この陰徳を様々なところで感じたような気がします。 欧米化が進み、思っている事はすべて口にするようになったり・・・ 主張する事が普通になったり・・・ こういう事で、恩、愛の押し売り状態になっているような気がします。 身近でもこの変化を感じます。 まずは自分自身から気をつけていきたいと思います。 『クリックで救える命があります。』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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