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テーマ:介護・看護・喪失(5316)
カテゴリ:介護
朝、週に三日ではあるけれどもリハビリに送り出すまでは、慎重に、楽しく、状態も把握しながら、そして根本的に行きたくないであろう母を、自分の都合で行かせていないかも自問自答しながら、様々な判断を強いられる。
しかし、今朝は失敗した。 久しぶりのリハビリだから、行ってくれるだとうという前提のもとで、この一か月で溜まった勉強を今日は、2時間くらいは集中して出来ると計画していた。 目の前のことをきちんと見ることなく、その計画にそって動こうとしていた。 不調を訴える母、しかしそれを睡魔と、動作による酸素不足だと判断し、落ち着かせ送り出そうとした。 しかし、いつも以上に強く拒む母を見て、そこで初めて熱を測ったみるという行為に出ることが出来た。 37.7度。 失敗するところだった。 今、まさに母から呼ばれて行ってみると、苦しいという。 酸素を測ると70・・・すぐに酸素量を調節し、頭の中ではとうとうこの時が来てしまったのかとよぎり、次に何をすべきかが、咄嗟に判断できなかった。 酸素量の調節は咄嗟にでもできた。 しかしその後、救急車を呼ぶことを考えるまでに、1.2分はあったかもしれない。 母の末端冷え性から来る測定ミスも考えられる。しかし苦しさを訴えてくるのは初めて・・・ 2度、3度を測り直すと90、92、95・・・と上がってきた。 母を落ち着かせるために、笑いながら 「もう驚かせないでよ~。酸素も心拍数も良すぎる!」と言う。 母も安心して笑いながら、「まだ生きていないとね」と・・・。 今を生きる、今を見る、今! 最近、茶道で体感したばかりだったのに、茶道で体感したものを日常に落とし込むことが出来ないのであれば、何にもならない。 これからの”朝”は私の訓練になりそうである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.07.03 09:49:35
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