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わたしの足跡

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2017.12.17
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カテゴリ:介護
今日、理解出来ない出来事が起きた。

私は、夜帰宅する際、母の食事用の大きなテーブルの上に、お茶の入ったコップ1個、楽のみ2個を右端に、ティッシュBOXを左端に載せて出る。

今朝、到着すると配膳係の人が、楽のみを一つ消毒か何かの為に持ち帰ったのか?と聞いてきた。

そこで、無くなったと解り、すぐに正面の患者さんの棚に目をやると、そこにあった。

夜勤の人が、母の楽のみが二つあったために、一つがその患者さんのものだと思ったのだと思う。

しかし、直接口にするものを「思った」など、想像で扱ってはいけない。

もし、感染症を持っていたら・・・

もし、感染症を引き金に取り返しのつかないことになる大病を患っている人だったら・・・

責任者が、新しい楽のみを購入してきて、一所懸命謝る。

私は、一番の被害者は正面の患者さんであることをつげ、皆さん私に謝ることに違和感を覚えた。
我が家に謝ることは、楽のみを一つ駄目にしてしまったことだけであろう。
ここでの一番の被害者は、正面の患者さんである。

そして、一番の問題は、その想像だけで誤った判断をしてしまう人が看護師という立場にいるということである。

そもそも、看護師さんは、母のテーブルから「その一つ」の方が正面の患者さんのであろうと思ったのか?もう一つの方である可能性も考えなかったのか?(勿論、両方違うけれども)

私が名前を書いていなかった落ち度は、別問題。

そこで、私は看護師さん達の質を考えた。同時に最近ある脚本家と話をするにあたり、学校教育について考えていたことも重なり、人間性の土台を造りが必要であることを考えた。

看護の勉強ではない。人間としての土台である。

普通は家庭で身に付くものかもしれない。





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最終更新日  2017.12.17 03:29:29
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