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テーマ:文化(45)
カテゴリ:茶の湯・生け花
ある雑誌に記載されていました・・・
引用 茶の湯に惹かれるきっかけのひとつに「もてなしの心を学びたい」という動機が見られる。 ”もてなし”を辞書で引くと「待遇する」「心を込めて相手の世話をする」とある。 また、ここ最近では、見知らぬ人を歓迎し、何の対価も期待しない”サービス”という言葉と同義のように使われている。 利休が茶席でおこなった“もてなし”は、それとは少し異なっていた。 例えば、ある茶会では床の花入に花を生けず、花入れの口ぎりぎりまで水があった。「皆様の頭の中で、花を入れた姿を想像して、私の点てる茶を楽しんで下さい」という利休の洒脱な思惑だったのかもしれない。 利休の茶の湯には、いつも思いがけない“サプライズ”が隠されていた。 また、それだけではなく茶の湯を遊びから切り離し、亭主と客の双方が本気で自分の核と向き合わなくてはいけないようにした。 茶の湯の場合、亭主の大きな責務は「自分しか出来ないもてなしをする。人と違うことをする」こと。それはいわば、主体が自分にあり、相手をもてなすことで、自分自身をも見つめなおすことにほかならない。 客も受け身でいるだけではなく、亭主のセンスに即座に反応する感受性や知識がなければ、亭主の意図を受け止められない。 主客の両方ともが、鋭い感性で渡り合い、「かけがえのない今を過ごす」という前向きな相互作用によって、世にも美しい真剣なもてなしが成立する。 以上 海外では、お食事やちょっとしたパーティーで人を招待する機会が多くありましたが、その時に気をつけていましたのは、お客様がとにかく満足して下さることだけは心掛けていました。 そのためには、手を抜くことをしませんでした。 しかし、それをおもてなしという言葉で考えたことはありませんでしたが、今回この千利休居士の“美しい真剣なもてなし”によって、改めて考える時間を戴きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.04.09 10:54:56
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