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カテゴリ:エッセイ
『傘を忘れる』
2008/04/14 昔から、いい傘は買わないと心に決めている。初めて手にした「いい傘」は、お小遣いをためて買った5000円くらいのものだったが、通学途中の自転車に巻き込んでボッキリと芯を折った。懲りずにまた買った同じくらいの値段の傘は、通学中の電車のなかで惰眠を貪るうちに手元から消えた。柄がパイナップルの形をしていて「私らしい」傘だと評判だったのに。(女子高生の私はそんな髪型をしていたのだ)。 その後大学に進んでからも、傘たちは私のもとに長く留まらず、半年も経たずに去っていった。さすがに「もうこんな別れは嫌だ」という気分になってここ数年はビニールの安い傘か、折りたたみの傘が私の雨の日の供になった。 去年の夏に、目黒にある庭園美術館のショップにて、知らないアーティストの絵が施された晴雨兼用の傘をみつけた。折しも、突然の雨に降られて雨宿りがてらに入った美術館だった。へんちくりんなキャラクターの瞳に心をつかまれて、家に連れて帰った。よし、こいつは失くさないぞ、とそう思った。思ったのだが…。 「そうなんです、乗り換えてはっと気がついたら手元になくて…。」 「そうなのよねえ、私もぜったいにこれだけは失くしちゃいけないって思っていたのに、やっぱり傘はダメよねえ。」 本日、みなとみらい線のとある駅の窓口で知らないご婦人と交わした会話である。私が自分の失くした傘の描写を最大限の表現力で伝え終わると窓口の駅員さんは捜索のために後ろに引っ込んだ。代わりに違う駅員さんがでてきて私のすぐ後ろに並んでいたご婦人がやはり同じようなしぐさで失せ物の説明をしていた。彼女の必死さは明らかに私より上だったので、思わず問うていた。 「お気に入りの傘だったのですね。」 「ええ、還暦のお祝いにもらったものなの…。」 答えるご婦人の肩はがっくりと落ち、見るからに自分の不注意を責めているようでなんだかかわいそうだった。だめじゃないか、還暦の祝いに傘なんか贈っちゃ。傘は失われるものなのだ。もらった大切なものを失くしてしまった悲しみを相手に味わわせたくなければ傘など贈るものではない。 そういえば、高校のときに一緒にミュージカルをやっていた子が、誕生日に友達から贈られた傘を失くしてしまい、一年くらいずっとその事実を隠していたことがあった。それがばれたときには「そんなに一生懸命隠してたなんてかわいいよね」ということで水に流されたが、別のタイミングで嘘がばれてみんなから白い目で見られることになっていたらと思うとやはり、傘など贈るものではないと思ってしまう。 結局私の傘はどの駅にも届けられていなくて、後日に希望を残して去ることになった。 「見つかるといいですね。」 「ええ、お互いに。」 駅員さんがとても優しく丁寧に対応してくれたことと、同じ境遇?の女性とのこの会話が印象に深く残っている。 帰り道は雨が上がっていて助かったが、とりあえず使える傘を手に入れなければならない。帰ってすぐにネットでかわいい傘を見つけた。安かったので二本購入した。一本は母の日に贈るのはどうだろう。うちの母もそろそろ還暦だ。「失くしてもいいからね」と値段も開示して渡すのを忘れないようにしなければ。だって、私の母なのだから。幼い頃からウチに立派な傘がおいてあったことはない。480円。このくらいがウチの玄関にはぴったりだろう。 憂鬱な雨の日も、華やいだ気分で出掛けられそう!コローナ ジャンプ傘 5433 色おまかせ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月15日 12時03分43秒
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