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カテゴリ:エッセイ
「誕生日には、母親に花を贈ることにしているのよ」 すらりと背の高い、モデルのように美しい友が言った。 それは、キャンパスのコンピュータルームで、同じ講義のレポートを仕上げている時のことだった。私は一瞬、何のことだかわからずに友の鼻筋の通った横顔を見つめた。 彼女はモニターから目を離さずにまた言った。 「だって、私の誕生日っていうのは母がとても頑張ってくれた日でしょう。21年前のこの日に母親が痛い思いをして、一生懸命私をこの世に送り出してくれたんだなあって思ったら、花とハグのひとつも贈りたくなるでしょう。Don’t you agree?」 出会ったのが英語のクラスだったため、私たちの会話には時たま英語が挟まっていたりする。私はあわてて「Yes, I strongly agree…」と答えていたが、心底友の深慮に舌を巻く思いだった。そうだ、彼女はいつも直線的に思考して行動する私に、立ち止まってある物事をまったく別の視点から見る方法を教えてくれる女性だった。 それ以来、彼女の教えに倣って私も毎年自分の誕生日に母親に花を贈っている。 もはや、自分が年をとることがそれほど嬉しくなくなってしまった今となっては、この考え方を教えてくれた彼女に感謝している。 私はもともと、自分の誕生日をどう迎えたらいいのか、毎年かならずやってくるこの日の処し方に困っていたのだ。すべてのものが、新しい生命を吹き込まれたような顔をしている四月という月に生まれたことを、呪ってさえいた。 「四月は残酷極まる月」と表現したのは詩人のT.S.エリオットだが、まさにこの季節というのは、忙しなさに由来する浮ついた気分と裏腹に、鈍重な草根のように心が沈む残酷な季節なのだ。花曇の空の下で空気は身体に纏わりつくように重い。やる気ばかりが空回りして、指先は怠惰を決め込む。咲き誇る花々の中で心に去来するのは、なぜかもう会えなくなってしまった人の面影ばかり。こんなにも外的要因によって感傷的にされてしまう月に、暢気に自分の誕生日を祝う気にもなれないというのに、まったく無視すると抑え付けた感傷に完全に毒されたもう一人の自分が騒ぎ出す。かくて私は、「誕生日なんか気にしない、でも誰かが祝ってくれたらやっぱり嬉しい。」というバレンタインデーの男子みたいな心持で毎年の誕生日を過ごしていたのだった。 色々新しい出会いがあり、新しいこと、楽しいことが起きる。四月は本来再生の月だ。その月に母親にプレゼントを贈るというのは、私にとって「一時停止→再生」というプロセスと同じ意味を持つようになった。円環的な時間の中で、母に贈った花の数だけが確かに自分の進んできた道に積み重なる。作りつけられた「母の日」もいいけれど、世間の営みと無関係にゆっくり母への感謝に思いを馳せる自分だけの豊かな時間。誕生日がそんな日になってからもう、ずいぶん月日が経った。 今年は母の居る病院へチューリップのアレンジを送った。自分がもらうのにはちょっぴり気恥ずかしいこの花は、愛らしい外見に似合わず残酷極まる四月の歴史を彩ってきた花だ。花言葉の「永遠の愛情」に母の愛情を重ねてみるが、私に注いでくれた愛情の分だけこの花を贈れるにはまだこの先何十年もかかるだろう。どうか長生きして欲しい。全快を心から祈って、チューリップに願いをかける。 ★チューリップ!★【レビューを書いて1020円キャッシュバックセール】★デザイナーオーダーフラワー★【歓送迎0218★5000】【歓送迎0218★送料無料】【歓送迎0218★即日配送】【お楽しみ0414】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月18日 14時08分52秒
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