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カテゴリ:エッセイ
2008年4月24日
いつもの多目的教室のドアを開ける手が一瞬躊躇する。果たして、このドアの向こうには何人の生徒が居るんだろう? 「おはようございまーす!」 私の姿を見て元気に挨拶をした生徒は5人。その内3人は知った顔なので新入部員は2人だ。3月に二人の生徒が卒業して、また二人入って来た。プラスマイナスゼロ、と言えば聞こえは悪くないが、今年は市や県の演劇大会に積極的に打って出ようという野望を持つ部活にしては、少々さみしい幕開けではないか。 単位制の「フレキシブルスクール」であるわが校の場合、大学生とほぼ同じような生活スタイルのなかで、就職に直結するアルバイトに専念する子が多く、部活動に青春をかける、といったような発想があまりないらしい。まったく新入部員が入らない部活もある中で、新入部員がいるだけいい、と上級生は楽天的に笑っている。講師のわたしが気をもんでも仕方がない。首をすくめつつ、「喋ってないで、始めるよ」と声をかけた。 自分が高校生の頃は、朝から晩まで部活動が生活の中心だった。 朝5時に起き、6時代の武蔵野線に乗って埼玉の女子高まで通う。ミュージカルの朝練を朝礼ぎりぎりまでやって授業に出るが、それは授業という名の食事タイムであり、また台詞や歌を頭のなかで復唱する時間であった。4時間目終了と同時にたった20分の昼休みを歌の練習に使うために音楽室へ走り、しばしば掃除の時間に突入したのに気づかずに鬼の形相をした当番の先生が迎えに来た。5,6時間目は、ほぼ例外なく白川夜船で過ごし、ついに放課後がくる。これは学校生活がまさにその為にあるような至福の時間であり、1、2年生のときは先輩たちの演技を盗もうと必死になり、3年になると後輩の手本になる芝居をしなければならないと夢中になって練習をして、家に帰るのは大抵夜の22時を回っていた。そんな日々が三年間、受験の年の秋の文化祭まで続いたわけだが、体力と集中力を極限まで駆使して得た充実感は、何物にも替え難いものだった。 今の高校生の生活スタイルに異論があるわけではない。彼らには彼らの時代に即した生きる規範があってしかるべきだ。ただ、私が演劇部で教えなければならないことは「演技」のやりかただけではない、と思うことがよくある。部活動をしないことによって減ってしまうもの、それは「先輩・後輩間のコミュニケーション」だ。先輩から教わる、ということは多少煩わしくても後になってずっしりと有り難みを感じるもので、それがそのまま思い出にもなる。後輩が出来れば、先輩にしてもらったことを恩返しするつもりで指導にあたる、その時には自分が目標にしていた先輩のように後輩の目に映れるように、技術も精神も必死に磨くものだ。少人数の部活では、多少家族的な付き合いになってしまうのは仕方がないが、それでも部活動を経験しないよりはずっとましだろう。 「先生、この台詞の読み方なんですけど…」 「その脚本は去年文化祭で使ってるんだから、先輩に聞きなさいね。」 教えないことも教えることのうち、と胸に刻んで、お喋りな口にジッパーを設ける新学期である。 『人生限りがあるけれど輝き放つこの現在の一瞬一瞬を翔けている。みんなの夢は自分の夢・・・寝ても覚めてもこの道一筋力を合わせて、・・・演劇部Tシャツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月27日 16時01分49秒
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