カテゴリ:「ジェンダーと哲学」の本
現代女性のトップクラスの知性をもつ女性として、名高いリーアン・アイスラー氏の大作「聖なる快楽」を読み終えました。この本よりも前に出されている「聖杯と剣」のテーマから更に発展して、「性と快楽」に踏み込んだ大作です。
なぜ、人類の片方の性が、もう片方の性をこれほどまでに痛めつけ、支配し、管理しつづけるのかという問題、女性だったら誰しも一度は理不尽な気持ちを感じたことがあるのではないでしょうか?この気持ちの基を遡っていくと、はるか彼方の歴史以前を考えなければ見えてこないのですね。今までの男性中心の支配者形態は行き詰まり、もう先がないのではないかということを、世界中の多くの人たちは気がついているわけです。戦いと恐怖に満ちた社会から、今、人類は急いで、男女が共に創る協調形態による新しい社会を生み出していかなければならないということなんですね。 人類の歴史以前のところから、近代、現代まで、どのようなプロセスを経て支配者形態の社会になったのかを示すと共に、人類の新しい選択肢である協調形態社会の可能性を示してくれます。女性だったら必ず読んでいただきたい本です。そして、男性たちもしっかりと読んでいただきたいと思います。ことに女性の性のよろこびは一切認められてこなかった西洋の歴史は、悲惨極まりない歴史なんですね。宗教的な面から言えば、性は生殖のためのもので、女性は罪深い穢れた存在であったわけです。性のエネルギーが宇宙のエネルギーであるとみなしているものもありますが、それさえもあくまで男性の性の昇華が中心で、女性の性のよろこびは考えられていないわけなんですね。また、軍隊で使う隠語に明らかに女性を陵辱していくような表現が多く、あまりのこの真実に呆然としてしまいました。 女性の快楽は一切ないものとして葬り去られてきたというこの事実を、特に西洋の歴史から次々と示されると、わたしたちが信じ込まされてきた、進歩したこの世界はまるでペテンの世界だったんじゃないかと思わず叫びたくなります。 支配者による歴史は、苦痛と恐怖に満ちた戦いと暴力の歴史だったのです。本来人間は非常に幅の広い社会形態を選択できる能力があるはずなんですね。たとえば男女が平等で、苦と恐怖を中心とした社会ではなく、快と協調を中心に生きる社会を選択できたはずなのに、なぜ人類は、支配者形態の歴史を歩んだのか。 どんなに嘆いても、その道を歩んでしまったのですから、このことから多くを学び、よりよい世界を創っていかなければと心から思います。日本では高群逸枝さんが、「女性の歴史」を研究され執筆されましたが、ぜひこちらも読んでみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.16 23:54:23
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