カテゴリ:要点4.生と死
セラピーも瞑想といっしょで、問題を受け容れるということをベースとしているからです。 ハート瞑想の見地に立てば、受け容れることで生き生きとしたエネルギーがやってきて、変容を起こすともいえます。 カタルシス(発散浄化)も、内側に在るものに表現を許すことによって、それにエネルギーをあげているということともいえます。問題をなくす、捨てるためではありません。 だから、何にがあったとしても、現在そのままの状態でそこにいること。その瞬間にいることが大切です。 もしエネルギーが凍っていたら、凍ったままでいること。それは、ただハートにいればいいということです。というよりも、そのままでいたらハートがやってくる、というほうが正確な表現かもしれません。 そこにあることを許すということ。例えば傷みがあったとしても、それを許せば、エネルギーは流れだし、全体的になります。それが「もしあなたがアスホールならアスホールであることを許し、そしてアスホールネスになる。」ということです。 これはまた、ほとんどのセラピーの基本でもあります。 「マイトリー(慈):心理療法と瞑想の共通基盤」(ジョン・ウェルウッド) 心理療法や瞑想はいずれも多くの発達段階を人に通過させるが、わたしはそれらが重なり合う最大の点は、仏教でマイトリー「自分自身に対する無条件な友情」として知られるものを育むことに手を貸すことだとみなしている。普通、われわれが人々(や自分自身の一部)と親しくなるのは、彼ら(あるいはそれら)がある意味で楽しかったり、賞賛に値するからである。マイトリーとは、いかなる意味でも条件がつかない、自分自身との友情を指す。それは自分の経験に対して、必ずしも楽しいからという理由によってではなく、(実際に、その経験は苦痛であったり、楽しくなかったりすることもありうる)単に、自分が経験しているものだからという理由で友好的になることを意味する。マイトリーとは、われわれがこうすべきだと思っているやり方に従って暮らそうとすることではなく、自分自身を無条件に受け入れ、自分が人間であることを全面的に認めることを指す。(ジョン・ウェルウッド) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/05/17 12:04:42 PM
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