カテゴリ:要点4.生と死
セラピー・グループでも、瞑想でも、そしてたぶんどんな場合でも、何があってもそれを許すという受容的な環境があるとものごとの変化・変容のスピードは早いのです。
例えば、インドのOSHOコミューンは、私の経験では、そこはとても受容性のある環境でした。 集まっている人々が、というだけでなく、そういう空気、雰囲気のある特別な場所でした。 ですから、例えばその人のなかの何かのエネルギーがどこかで止まっていたのなら、自然にそれを生きるということが起こっていたように思えます。例えば、子ども時代のどこかで何かのエネルギーが凍っているのならば、自然にそのエネルギーを生きるようになるような不思議な場所でした。 OSHOコミューンからの帰り道、ガジュマルの木の蔦でターザンごっこをしながら帰ったことを、いま急に思い出しました。絵描きになりたかったのにならなかった私は、気がついたら毎日、何枚もの絵を描く日々か続いたりもしまた。 だから、コミューンでは、セクシャリティーも、パワートリップ(エゴを満たす行為・権力闘争)も、トライハードで努力することも、野心も、欲望も、いわゆる瞑想的でない事柄が百花繚乱で毒々しく花開くことも起きましたが、OSHOと瞑想のおかげで、それを抑圧せずに「目覚めたまま生きる」ことができたぶんだけ、そういったものの変容が、起こりやすい場所でもありました。 気づけは、否定的なものは消えていき、肯定的なものは育っていくという原則があります。 聞いた話ですが、植物の成長も普通の場所よりもなぜか三倍早くて、植物学者が調査に来たそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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