アテイーシャのゆかりのお寺は今・・
ソーシャル・ネットワークの1000人目のキリ番を踏んだ人は、私の岩手の友人のプラヤスでした。私は彼とパートナーのプラダが大好きです。二人は昨年、カイラス/カン・リンポチェ巡礼に行ってきました。彼の了解を得て、アティーシャゆかりのお寺についての記事と写真を、ここに転載させいもらいます。写真だけ見ると、これはアメリカのセドナと見間違う風景ですね。 「アリ(阿里)地区ツァンダ(札達)県のトリン寺はチベットで最も古いお寺の一つとして知られている。しかし文革中にまともな仏像は一体も残らないくらい寺は徹底的に破壊されており、復興されるまで家畜小屋にされていたようだ。 仏塔も500以上あったようだが、サトレジ河の氾濫が続き大部分が失われている。何の対策も講じなければ、ここまま河の浸食により残りの仏塔も失ってしまうに違いない。いまトリン寺は危機に瀕している。 トリン寺はアティーシャ(阿底峡)が1042~44年に滞在して『菩提道燈論』を著した古刹だったが実際に訪れてみるとトリン寺のあまりにも破壊のひどさに涙を禁じ得なかった。 1024年ころグゲ国王イーシェ・ウーが戦争中に捕虜になり、莫大な身代金を要求されたが、国王は「自分の命はいらないからこの身代金をインドから高僧を招くように」と伝えて亡くなったと言う。 グゲ国王チャンチャヴ・ウーは莫大な黄金をインドのヴィクラマシラ寺院におくり1040年、61歳のアティーシャをトリン寺に迎えた。その後サムイェ寺に滞在後、1054年73歳でラサの東方ニェタンで入滅した。アティーシャはインド人だったがチベット密教に与えた影響は大きい。」 (プラヤス記)