■水郷から■
夜。茨城の潮来で,ぶらりと蕎麦屋に入った。なかなか蕎麦は出てこない。店の奥さんが、電話で、客が来ているのだから戻ってこいと話しているのが聞こえた。この蕎麦屋は、二階が潮来の資料館になっていた。あまりに蕎麦が出てこないものだから、そこの資料館の階段を登った。そこは、潮来での映画の撮影のフィルムと手作りの展示品が溢れていた。「昔、飛行場はアメリカに爆撃されて使いものにならなかったでしょう。そのてん水郷は爆弾を落とされてもだいじょうぶだから、日本軍は、水上で滑走する飛行機を作ったのですよ。すごいですね。がははは・・。」いつのまにか、店の主人が現れ、説明がはじまった。この模型飛行機は、店の主人が手作りで作ったようだった。「この田んぼに水をひく、足こぎの滑車。足で踏む板の数が、偶数ではなく、奇数なのですよ。対角線で作れないから、苦労しましたよ。がははは・・。」なるほど・・、奇数だと、足で踏む滑車は、対角線での効率もよいのかもしれない。これなども自分で作ってみないとわからないことだと、関心して聞いていた。店の主人は、蕎麦を運んでくれたようだが、そんなことより、自分の作った展示物について話がしたくてしょうがないようだった。とんだ道楽オヤジというわけだ。これらの展示物は、過去の写真などを基にして、図面に落として作っているということだった。潮来は水郷なので、いくつもの変った橋が有名だが、これからそれらの橋を作るということだった。どうやら、その道具を探しにさっきはでかけたようだった。その図面と古い写真も見せてくれた。すごいですね。皆、手作りとは。と褒めると、「部屋中、こんなものばかりで埋め尽くして、私が死んだら、これらをゴミとして捨てるって、娘からは、言われていますよ。がはは・・・。」翌日、水郷の船に乗り、川の散策を楽しんだ。水郷の船は、かつては、牛なども乗せて、田んぼにむかったそうだ。船頭さんに、蕎麦屋の店主の話をしたら、蕎麦屋の主人は、もと中学教師で、船頭さんも教わったことがあるそうだ。退職後、蕎麦屋をはじめ、道楽で、さらにそんな資料館を作ってしまった人ということだった。なるほど。合点がいった。だから、蕎麦を売ってもうける気がさらさらないのだ。道楽三昧。しかし、これらの展示物と作成秘話はおもしろかった。こういう人は、私は、けっこう好きなのだ。