■真実な貧困(4)■
昨年(2006年)の正月、歴史的建造物でもあったJR下関駅が炎に包まれ、燃え落ちた。一般的な報道は、以下のとおりだ。 * * * * *1月7日午前2時過ぎ、山口県下関市にあるJR西日本・下関駅構内で火災が発生し、木造駅舎と構内の飲食店、駅舎南隣の下関地域鉄道部下関乗務員センターなど、中日新聞によれば約3,000平方メートル、読売新聞によれば約4,000平方メートルを焼いて同日午前5時ごろ鎮火した。この火災で下関警察署は、同日放火の容疑で74歳の無職の男を逮捕した。読売新聞によると、逮捕されたのは住所不定・無職の福田九右衛門(ふくだ・きゅうえもん)容疑者(74歳)で、下関警察署は火災発生後に駅から約350m離れた駐車場にいた福田容疑者に任意同行を求め事情聴取し、福田容疑者は「腹が減ってムシャクシャした」として、自らの持っていたライターで紙を燃やした上で駅舎近くの倉庫付近で放火したことを認めている。福田容疑者は、この日福岡県北九州市から中国地方方面に在来線を使って移動中で、前日の午後7時ごろに乗り継ぎのため同駅に到着していた。福田容疑者は2001年4月にも北九州市内のアパートで放火未遂事件を起こし逮捕・服役していたが、先ごろ出所したばかりだったという。 (2006年1月8日ウィキニュース)より、 * * * * *ほかにも、読売新聞では、『「空腹でむしゃくしゃ」下関駅に放火した疑いで、74歳男逮捕』と報じている。幸運にも、この事件での死傷者はでなかったが、歴史的な建造物の消失を嘆く声が大きかった。しかし、ほんとうに、男が「空腹でむしゃくしゃ」して火をつけた。この事件は、そんな、単純な話なのか。いったい、この福田被告は、どういう人物だったのか。彼は、弁護士に、「刑務所に戻りたかった」と語っている。福田容疑者は、生い立ちは悲惨だ。少年時代から、父親からの凄まじいまでの虐待を受けている。彼の弁護人によると、体中、傷だらけで、胸部から、腹部にかけては、燃えた薪を押し付けられ、火傷の跡がひどいという。「刑務所に戻りたかった」彼は十二歳で、少年教護院に入り、そのあとも過去10回に渡って刑務所に服役している。成人後の54年間でも、その約50年間が塀の中で生きていた人物だ。では、はたして彼は、過去の虐待から歪んだ性癖をもってしまった粗暴な男だったのか。福田容疑者は、過去の放火事件で精神鑑定をうけている。「知能指数66、精神遅滞あり」彼は知的障害者だった。障害者には、最重度、重度、中度、軽度の四段階に分かれている。この軽度の知的障害者というのは、人から言われれば、身の回りのことができる範囲の障害であるために、見た目には、健常者と区別がつかないことが多い。ひじょうに微妙な社会的な位置の人たちだ。行政による福祉の網から、はずれてしまうことも多い層だ。誰もが、ふつうの人だと思って彼らに接する。周囲も、普通につきあおうとする。そして、どこか噛み合うことがなく、ぶつかる。彼らは、混乱する。自閉する。逼塞する。知的障害者というのは、指示された習慣に朴訥までに従い、威嚇されると、従順に行動をとってしまう人がほとんどだ。ただ、表現が奇態であるために、誤解されることも多い。そんな彼らも、一度、犯罪をおかすと、福祉は対応が厳しくなる。マスコミ報道も、障害者の美談は持ち上げるが、犯罪は禁忌し、隠蔽する。この福田容疑者は、障害者手帳をもらうことは一度もなく、福祉とは、いっさい関わることのない人生だった。また、逮捕されたときも、警察の取り調べや、司法の場でも、まともに内容を理解することすらできないし、反論する言葉も、軽度の知的障害者たちはもっていなかった。彼ら知的障害者は、家族も持つことも少なく。刑務所をでても、待つ人はいなく、帰る家はないことが多い。12月30日に福岡刑務所を出所した福田容疑者は、北九州市内の自転車置き場などでホームレスをして、翌年、1月7日に火を駅舎に放った。1週間後、刑務所に戻りたいために。『「空腹でむしゃくしゃ」下関駅に放火した疑いで、74歳男逮捕』 読売新聞 (つづく)