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テーマ:子供の習い事(2485)
カテゴリ:子供の頃
子供の頃ピアノを習っていた。習い始めたキッカケは5歳年上の近所のお姉さんがピアノを弾く姿がカッコよくみえて、「ピアノをやりたい」と自分で言ったらしい。ピアノを楽しんで弾いた記憶はあまりない。練習をほとんどしなかったので、下手なまま苦手意識だけが募った。下手なピアノを聞かれるのが恥ずかしくて、練習をすることができなかった。練習しないから下手なまま、下手だから弾きたくない。正に悪循環の繰り返し。
子供心に何か始めたことを途中で止める、ということができない性格だったのでなんとなく続けた。成績にも受験にも全く関係なかったのに。なんて”高い”お稽古事だったことだろう。毎週一回のレッスン日を憂鬱に感じ、お金を払ってわざわざ感じる必要もない劣等感を感じていた。何年か時は過ぎ、受験を言い訳に止めた。精神的にすごく救われたが、ピアノを見るたび(ピアノにもレッスンにも投資したのにも関わらず、全く成就しなかったので)「親に申し訳ない」という罪悪感と、「自分は才能がない」という言い訳の気持ちだけが残った。 「もっと早く止めればよかった」その後何度も思った。そうすればこれほど嫌な思い出にはならなかったのに・・と。5年以上時が過ぎ、「子供の頃ピアノ習っていたのよ」とやっと笑って言えるようになった。"バイエル”の名前はさすがに覚えてはいたが、”ブルグミューラー”も”チェルニー”も名前を忘れるほどピアノは遠い彼方の思い出となった。 更に時が過ぎ、大人になり子供の頃の苦い思い出もすっかり癒えた時、アメリカで非常に忙しい日々を過ごした。連日読むことに追われる毎日。ある時ふと気付くとラジオから流れるクラッシック音楽に心癒される自分を発見した。ピアノの調べがこれほどまでに心に響いたことは今までにあったろうか?心が安らぎラジオ番組が終わるまでその場を動くことができなかった。ソフトロックの英語の曲で好きなものはたくさんあったが、心を開放させ全てを忘れさせてくれるのは歌詞のないクラッシック音楽だけだった。 更に時を経て、何年か迷った挙げ句に思い切ってピアノのレッスンを再開した。「ピアノが弾きたい」と心から思った。「ピアノを奏でて楽しい」と思ったのは初めてかもしれない。子供の頃のレッスンを考えると、「無駄だった」と長年思っていたが、「あの頃があったから時間はかかったけれど今に辿り着いたのかもしれない」、と今は思う。もっと早く、できればあの頃にピアノの本当の良さに気付いていたなら・・と後悔は後を絶たない。しかし済んだ事を悔やんでも仕方ないので、今は生きているうちに気付けて良かった、と思うことにしている。クラッシック音楽の良さを感じることができて幸せに思う。キッカケを与えてくれたピアノに感謝している。 子供の頃の習い事はすぐに成就しなくても、その子は一生かけて”何か”を学ぶ。「学ぶ」ということは上から”教え込む”ことではなく、その子自身が気付いた時に”学び取っていくもの”だと私は思っている。それが何であれ、どれだけ時間がかかろうとも、「全く無駄」ということはないのではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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