昭和62年の私
この時初めて証券営業の仕事を始める25歳の春保育所の保母をしていたが、期間が決められていたので、ずっとの仕事したいという思いで飛び込んだ世界だった。父が猛反対した。家出をした。新阪急ホテルで泊まろうとしていたところに、弟と母が迎えに来てくれた。父が父の弟に保証人を頼んでくれた。営業の仕事で最初にお客様になってくださったのは、小学校の先生だった。名前もお顔も嬉しかったあの時のことは30年以上たった今でも忘れられない。私を生んでくれた母、そして経済的にご飯を食べさせてくれた。両親には感謝してもしきれない。でもその母と父に職業をくれて、お金をくれた社会というのがあると気付いた。そう日本経済というのがあって、会社社会というのがあって、そこで父や母がお金をもらい私を生み育ててくれた。ということに気が付いた。色んな仕事をがんばってされている方がいる。頑張って働いてこられた方々がいる戦後の焼け野原の中から経済大国を作ってこられたそしてその人たちがいたから、ご飯が食べられて、ここまで生きてこられたんだ。ということに、気が付いたとしでありました。ありがとうございます。日本経済様、日本の皆様、おかげさまで、ここまで生きてこれました。ご飯もいっぱい食べました。