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カテゴリ:スポーツ全般
私が小学3年生の時にミュンヘンオリンピックが開催されました。男子体操や水泳平泳ぎの田口信孝選手と並んで金メダルを獲得したのは男子バレーボール。ハッキリと記憶しているのはテレビ中継で決勝戦が始まる際の相手が東ドイツで、(あれっ)と思ったこと。ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と対峙するものと信じて違わなかったからです。結果セットカウント3-1で表彰台の一番高いところに上った男子日本。横田忠義選手の涙は忘れられません。
その姿にすっかり感動してしまったのが我がお袋です。翌年釧路に引っ越したのを機に、盛んだったママさんバレーボールを始めました。そしてそれに触発されたのが他ならぬ私。5年生になってすぐに学校のバレーボールチームに入部しました。その1年間と中学の2年間、更には高校の2年と3ヶ月ほどこのスポーツに夢中でした。しかし高校での「勝つこと」を追求する時間に燃え尽きてしまった私は大学に入って以降は無縁になったので、合計5年ほどのキャリアでした。 20代後半で結婚した年の冬に同僚からかかってきた電話はゴルフの打ちっぱなしへの誘いでした。グリップもフォームもへったくれもない状態でのスイングで手の平の皮がペロンと剥け、激しい筋肉痛にも苦しみましたがこのスポーツに私は夢中になりました。寝ても覚めてもゴルフゴルフゴルフ。雑誌を買い込み、練習に行き、コースにも度々。しかし払うものを払ってレッスンプロに教わることをしない我流の限界はスコアに表れます。ベストスコアは42-47の89 今ひとつでした。 その頃に巡り合ったのがマラソンです。2年間ぐらいゴルフとマラソンとを並行していた時期がありましたが、程なく後者に傾倒して前者とは無縁となりました。合計10年ちょっとのキャリアでした。 そしてマラソンを始めて8年とちょっとが経ちました。良い経験も不愉快な経験もしましたが、これは素晴らしいスポーツです。確実に言えます。 しかしながら確実に言えることがもう一つあるのです。それは「かなり飽きてしまった」こと。時間が空けば近所をチョロチョロと走っていた頃と今とではモチベーションのレベルが明らかに違うのです。哀しいかなこれが現実なのです。北海道マラソンにも参加だけはすることでしょうが、何が何でも好タイムでゴールという気持ちはありませんし、その後の大会参加も全くの未定です。昨年のサロマがキャリアの集大成だった公算が大です。 パークゴルフでも始めようか。 (6:59) 追記 と書きつつ、夕暮れ間近の午後6時34分から無風残暑の下をジョグしてきた。蜘蛛の巣と蚊柱と凶暴なカラスと傍若無人なチャリンコ二人乗り高校生に憤りを覚えつつのそれだったが、滴り落ちる汗が心地好かった~ セミリタイア状態の昨今だが、リタイアはしないでおこう。 (20:26) 本日7km。今月7km。今年667km。38分33秒。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月04日 20時26分47秒
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