1987年4月、23歳の大男(私)が札幌へのUターン就職に成功しました。入社した会社が(その当時は)北海道新聞が発表する道内人気企業ランキング上位10社の常連だったので、私はそれだけで人生の勝利者にでもなったかのような勘違いをしたのでした。
ところが入社と同時に開始された1週間の新人研修が終わると言い渡されたのが某メーカーとの合弁会社への出向です。その時が退社の意思を持った初回でした。
翌年、同じように出向を命じられて赴任した女性がいました。それが女房です。その2年後に典型的な職場結婚をした時、2人は27歳と23歳でした。
1993年6月、入社後6年を経て、晴れて母店に戻ることができました。しかしそれからの2年間は(支援部門)という名を借りたパチンコ三昧の日々でした。
これではいかん!と一念発起した私は(当時)花形と目されていた部門への異動を願い出て、それが通りました。
ここでの仕事は実にやりがいがありました。本人の努力が結果として表れやすいからです。14年間従事しました。
しかし2年前に青天の霹靂で部門間異動を命じられ、それまでとは全く異なる業態の部署での営業職に身を転じました。そこで心機一転を目しましたが、私はこの業態に馴染めませんでした。そこで4月中旬に社内の自己申告制度を用いて別部署への異動を願い出たのです。
中略しますが、その後6月17日に異動の内示があり、同27日には社内で正式発表がありました。それからは身辺整理と後任者への引継ぎ作業とで慌しい日々を過ごしていました。
本日2011年7月8日、それら全ての作業を終えて私(アザラシ27459)は24年間の長きに亘る営業職にピリオドを打ちました。身を退いた、と表現すべきかもしれません。
来週月曜日からはスーツやネクタイとは無縁の職務に就きます。肉体的にはキツいでしょうが、特にこの2年間苦しんできた精神的ダメージからは解放されるものと期待しています。この2年間全くその気にならなかったランニングの意欲も少しは湧いてくるでしょう。現に、7月23日(土)のぎんざんマラニック2011にエントリーをしました。
そしてさっそく明晩、私の歓迎会をススキノで催してくれるそうです。
さきほど帰宅すると家の中は真っ暗でした。最近ご機嫌斜め気味のPCを起動してブログアップをしています。それを終えたら冷たいシャワーを浴びてきます。そしてキンと冷えた(本物の)ビールで一人乾杯します。24年間の労苦を洗い流すべく。
これを最後に私はブログ上で仕事について記すことを一切控えます。
(20:02)
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最終更新日
2011年07月08日 20時02分15秒
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