昭和37年5月5日に私の両親は結婚した。披露宴で、よく笑う新婦だと評されたらしい。それは今もあまり変わっていない。
翌年の5月8日に私が生まれた。4年後には妹が誕生した。
父は転勤がついて回る職業なので、最長で4年、最短だと2年で引っ越した。その度に私も転校を余儀なくされ、幼心に「絶対にお父さんと同じ職業には就かないぞ!」と決めたものだ。
60歳でその職場をリタイヤしてからは、第二の職場で天職とも呼べる約10年間を過ごした。充実していたようだ。その後は世話好きな性格が災いして周りから頼られ町内会長を永年務めていたが、この3月で後任にその職務を譲ったようである。
母は若き日々はママさんバレー、それなりに年がいってからは社交ダンスに凝っている。今でも週に一度、どこぞで習っているようだ。
共通の趣味はパークゴルフ。ここ北海道に於いてプレー可能な半年間で何度もそれを楽しんでいる。
前置きが長くなったが、今年で両親は結婚後50年を経た。つまり金婚式を迎えた。私と女房は2ヶ月ほど前にその祝いの術を考えた。結果的に私の発案である『二人きりで湯治』が採用になり、それを提案すると両親も喜んでくれた。
今日、両親は道内屈指の温泉へ無料送迎バスで向かった。偶然(でもないのだが)振替休日の私は、両親をバス発着地点まで車で送っていった。さほど大きくもないボストンバッグ一つを携えて、無料送迎バス内から私に手を振っていた。私も軽く手を振って見送った。少しだけ胸が詰まった。そしてそのバスが見えなくなるまで私は見送り続けた。
今頃両親は湯船でのんびりと温まっているだろうか。それともとっくに部屋に立ち返って休憩しているだろうか。その昔、酒豪で鳴らした父はもしやもう一杯飲んでいるのだろうか。若い頃はビールを少しだけ嗜んだ母もそれに付き合っているのかもしれない。
(18:01)
本日12km。今月152km。1時間10分。
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最終更新日
2012年04月24日 18時01分06秒
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