昭和の遺物
神居古潭の旧駅舎のホームと反対側に、並んでいます。機関車が3両。9600、C57、D51。それぞれに特色のある蒸気機関車。ナンバーは、29638。頭の2は小倉工場製造を表します。9600は機関車の型式。38は、型式の38両目。実際には、小倉工場で作成された9600型の1両目。動力転輪は3、石炭車の車輪も3。車輪を一枚の板で3個を受け止め、板サスでクッション。特徴的な石炭車です。C57-201。C57の最終製造車。つまり最後に作られた機関車。専門的には、残っている4次型はこの1両のみ。車体は2個の車輪、3個の動転輪、1個の車輪で構成されています。動転輪は175cm、大きい。この車輪構成の上に細めのボイラーが置かれた長い車体。この細く長い車体、細いボイラーと大きな転輪が足の長い女性になぞらえて、貴婦人の愛称に繋がった。この車体は、三菱重工製。最後はD51。それも、なめくじ型といわれる水タンク。日本の蒸気機関車のベストセラー。一番多く生産された機関車です。この機関車ではないが・・・国内最後の蒸気機関車の運行は、追分線。岩見沢から苫小牧まで・・・・私は小学生で、乗った覚えが有ります。D51は力強く、まだまだ走れそうでした。ただ、当時、炭鉱の閉山が相次ぎ石炭は高くなっていました。エネルギー効率も悪く、運転手にも重労働だった蒸気機関車は消えていきました。数十年前に来た時は、今より自由に乗り込んだり触れたりしました。でも、その頃のほうが保存状態は悪かった気がする。今は定期的に塗装され、綺麗な状態だと思います。数少ない日本の技術の結晶ですから、大事にされるといいなと思います。