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カテゴリ:日々のこと
朝、ポストへ新聞を取りに行って気付いた。
今日は休刊日だった。 新聞が無い日は物足りない。 毎日のルーティーンが崩れてしまうような感じ。 しかし毎日、新聞を熱心に読んでいるわけではない。 慌ただしい日は読まないで綺麗に畳んだままの新聞を新聞入れに片付けることもある。 夫はもっと読まない。 最近気付いたのだけど、私が読まないとずっとその新聞がきれいなままなのだ。 たまに読んでいる時もあるが。 だが私は知っている。 夫は新聞よりお悔やみ欄チェックだけのために新聞を取っているのだ。 我が家の新聞は読売新聞。 地元のお悔やみ欄は地方版に一応載っている。 しかし別の地元新聞は詳しく載っている。 新聞販売店は、多くの客からの要望に答えて地元新聞の当日のお悔やみ欄をコピーし、希望者に新聞と一緒に配布しているのだ。 なら、地元新聞を取ればいいのだけど、やはり昔から取っている新聞は読みやすいので(と言いながら読み忘れたりするが)お悔やみ欄のコピーサービス(無料)を利用している。 なぜそれほどコピー希望者が多いのか。 それはお悔やみ欄をチェックして御葬式に行くから。 自分の家族の御葬式に来てもらって、相手の時、うっかり気付かなかったではすまされない。 人付き合い上、とても大切なことだ。 やはり新聞の存在は大きい。 ネットでいくらでもニュースはみられるのだが、無いと困る。 お悔やみ欄もそうだが、新聞紙としての利用価値が高いのだ。 例えば何かを包んだり、汚れ防止に下に敷いたり、生ゴミを包んでゴミにだしたり、用途はたくさんあるので、無くなったらその代わりになるものがないのだ。 しかし、記事の内容には不満がある。 あからさまな偏向報道を読んだとき。 そんな時、購読をやめればいいのだが、これからは新聞社に意見を出そう。 新聞は我が家では生活の一部なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.19 15:57:27
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