鬼門・大阪
【鬼門: 触れてはいけない事。良くない事。】先日のブログ「酔っぱらい親父」で帰省について少しお話しましたが、私とあかりんは年3~4回は帰省していました。私は一人っ子一人娘なので、「孫に会う」という一番の親孝行をするべく出来る限り帰省しています。しかし、あれはあかりんが1歳くらいの頃。大阪に帰ったら、風邪をひいてしまい、私は久々の地元の友達と会うのもキャンセルし、ゆっくり出来るはずがかえって疲れて東京に帰ってきました。世のお母さんは実家に帰ったらゆっくり出来る~と言いますが、私の場合はそうもいかず、夕方から酔っぱらう率がめちゃ高い父とここ数年、何回か整形の手術をした母がいるのでどうしても両親に”全て甘えちゃおっ♪”とは思えず、結局そうじとか色々やっちゃうんですよね~。。。なので、その上あかりんが寝込んだ日にゃ~、通常の倍は疲れてしまうんです。そして、その1歳頃に風邪を引いたのが始まりで、その年の11月、翌年の1月、5月、と毎回毎回風邪をひいていたんです。これだけ続くとさすがにイヤになり、「冬場は加湿器が必須!」とか「部屋をもっと掃除しといて~」とか予防できる術は思いつく限り注文しました。そして、この夏。【鬼門・大阪】を決定づける出来事が。その日、夕方実家に到着し、私はいつものように、あかりんの布団の準備や部屋の拭き掃除、持ってきた服をタンスに入れたりと忙しなく動いておりました。その間、父に「あかりん見といてや~」と頼んでおいたのですが、私が1Fのリビングで用事をしていると父の「あっっ!!」という声が聞こえたとたん、「ゴロゴロゴロゴロゴローッ」とあかりんが階段を転がり落ちて来ました。蒲田行進曲ばりに。いや~、もうね~、スローモーションでした。私は全身こわばりました。そして階段の上で呆然としている父。あかりんが下まで落ちて固まっていて、2,3秒後に「うわぁ~ん」と泣き出して、私も掛けより抱き上げました。すぐに泣いたので「頭は大丈夫やろう」と思い、とりあえず抱っこして、母に大声で「タオル冷やして持ってきて~!」と言い、私は泣き叫ぶあかりんに「あかりんどこ痛いの?」と必死に聞き出していました。やっと階段を下りてきた父に私は「なんで目を離したんよ!階段は危ないから絶対見といてやってお願いしたやん!これであかりんに何かあったら一生恨んでやるっ!!」と半泣きで絶叫してしまいました。私もパニクっていたんで、ひどい事を言ったと後で思いましたが、その時は本気でそう叫んでいました。そしてなかなか泣きやまないあかりんも少しづつ落ち着いてきたので再度「どこが痛い?」と聞いたら、「あしぃ、イタイ」と言ったので見てみると、少し腫れてる気が。「もしかして折れた?!」と抱いたまま急いで近くの整形の開業医のところへ。レントゲンを撮ったら「骨には異常はないと思うので、ひどい捻挫でしょう」と言われ、包帯をゆるめにぐるぐる巻きにして足を曲げないように固定して帰ってきました。そしてそれからが大変。その日はほぼず~っと抱っこ状態。約11キロの子をずっとですよ。更に甘えん坊になってるし。夜中も寝返りうつ度に「イタ~い」と泣いてしまうので、可哀相だったし、私も軽いトラウマ状態で目を閉じるとあかりんの“蒲田行進曲 落ち”が浮かんで泣けてくるし( ̄o ̄;)結局あかりんも翌日も痛がっていたし、家の方が落ち着くし好きなおもちゃもあるから気が紛れるだろうということで、東京に急遽帰ることにしました。そして東京について、近所の病院に行ったらなんと足のすねにヒビがっっ!!!!「なんやねんあのヤブ医者!」と心の中で絶叫!!!!「まぁ子供のヒビは見落とされる事が割とあるので、ボクは絶対に綿密に調べるんです」と近所のお医者さんが言っていました。それにしても・・・・ホンマ、ムカツキました。大阪のその医者は説明も丁寧で良さそうだと思っていたのですが、、、やっぱりそんな事で良い医者だと判断してはダメですね。とまぁ、そんなこんなで我が家では、鬼門=大阪が決定づけられたのです。とりあえず両親には悪いですけど、今年はもう帰省するを止めました。バンビもさすがに「たぶん今年の星が悪いねん」とわけわからん事を言い出しましたし、私も段々ひどくなる事態が恐くて・・・( ̄o ̄;)来年になったら、また帰省しようと思います。あ~大阪恐い。