テーマ:ひとりごと(15375)
カテゴリ:日記
まず、熊本地震で被災された皆様すべてに、心からのお見舞いを申し上げます。
避難所にいらっしゃる方は、だいぶ苦労しておられるようです。 深刻「食とトイレ」西原村の避難所 3食おにぎり1個 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160418-00000045-spnannex-soci 私が経験した東日本大震災の際は、もっと大変でした。結構、ここの方は恵まれているなと思いました。あの時は、広範囲で地震のため、道路が寸断。港が大きな津波のせいで、大量のゴミガラクタで一杯になって使えず、当然ながら空港の被害も深刻で、これまた使えず。 支援物資など、全く入ってきませんでした。水は市内1ヶ所だけ綺麗な水がもらえる場所があり、みんなそこまでもらいに行きました。町内会の世話役の方々が、災害特別本部を作り、水や食料など、必要な物を分けあって、しのぎました。何しろ田舎のことです。町内のすべてのことは、知られています。区長さん、町内会長さんなどが、すべての家を訪問。細かな世話をして下さいました。ですから、家が壊れてなければ、自分の家で暮らす事を望む方も多かったです。田舎なのでプロパンガスがほとんど。お店の方が、直後からすべての家をまわり、ほとんどの家は問題なく、安全をしめすシールが貼られました。プロパンガスの方が、こういう時は強いです。仙台市内は都市ガスで被害が大きく、大変だったと聞きます。地震の翌日辺りから、水は出始めたので、一週間停電でしたが、鍋とガスコンロでご飯を炊きました。我が家はオール電化なので、それが出来ず、ご近所の方々が、炊いたご飯を届けて下さいました。 ガソリンは、ともかくほとんどないため、買うためには丸一日がかりでした。途方も無く長い車の列が出来ていました。そのため、みんな自転車であちこち走り回り、食べ物を売っている店を探しました。小さな店の方が、案外開いていたりしました。 避難所の方は、まるで食料などが不足。何とか自分の家で暮らせる人は、みんな追い返されました。支援物資が全く入ってこなかった以上、家が全壊などの人以外はそうするしかありませんでした。 支援物資など、入ってくるはずもないんですよ。あの時のことを思うと、このニュースの人々は恵まれています。石巻など、海沿いで大津波の被害があった方々は、全部流されてしまいましたから、皆避難所に行くしかなく、それで食料は1日1食で、それも菓子パン1個とかだったんですよ。一日三回食事が食べられるのは恵まれています。 日本は地震大国です。可能な限り、家族の一週間分の水と食料は、保存しておきましょう。大きな地震があったら、よそから入ってくることは一切期待出来ないのです。自分達で何とかするしかないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.04.18 14:18:02
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