ペリーヌ物語
言わずと知れた名作アニメシリーズの「ペリーヌ物語」今回は仕事中にこの名作アニメをBGMにしてました。三国志の血なまぐさい世界を描きながら、人を愛する事を説くアニメを流すとは全く相反していますね。このアニメをリアルタイムで見ていたのは僕が高校生の時でした。日曜日に外出していてもこのアニメを見るために午後の7時半までにダッシュで帰っていた事を思い出します。見逃した時は地団駄踏んで悔しがったほどハマっていました。さてこのペリーヌ物語、今回はアシスタントには迷惑だろうと自分だけDVDレコーダーで流してイヤホンで聴いてましたが、意外な発見が出来ました。それは、とにかく音響が細かいという事。ペリーヌの旅先での馬車の車輪の音、虫達の鳴く音、人の靴音、とにかく音の演出にこれでもかとこだわっている事に気づきます。ただ人の足音はアニメーションと合ってなかったのはご愛嬌というか当時の技術では難しかったのでしょうね。今ではコンピューターで細かい調整が出来るので、音とアニメーションを合わす事はかなり正確に出来るでしょうけど。音の演出で圧巻だったのはペリーヌがおじいさんの孫だと発覚する時の音の演出です。弁護士がペリーヌの本名を告げた時に、それまで聞こえていた暖炉の薪が燃える音が急に消えます。一切の音がなくなり、実名がおじいさんに知られたペリーヌの驚きと戸惑いと恐怖が表現されています。この希代の演出は名作アニメの中でも1・2を争うほどの最高の出来映えでしょう。何度見ても涙を誘うほどの感動を与えてくれます。音と同時に気づいたのは主人公のペリーヌの仕草についてです。おじいさんの秘書になったペリーヌの立場をふまえた動きに気づいた視聴者はそんなに多くはないと思います。その代表となる例が椅子に座る順序です。食事の時も部屋の中でもペリーヌは誰よりも最後に椅子に座ります。これは自分が一番立場の低い人間だと自覚しているからで、それを礼儀作法としてペリーヌが徹底している事です。もちろん、礼儀としての事もありますが誰よりも最後に身体を休ませる行動は、病気の母を誠心誠意に世話していた名残ともとれるでしょう。一つ一つの細やかで計算された仕草、音による臨場感は名作アニメの中でも最高と言えます。自分の中ではやはり1番のアニメですね。(父となるならペリーヌのような娘が欲しい!!)という訳で今はペリーヌの原作本「家なき娘」を読んでます。作家はエクトル・マロで、かの有名な「家なき子」の作者です。かなり初期の翻訳本で、文章内で使われている感じがほとんど旧書体で辞書を片手に調べながら読んでます。(だからエラい時間かかる)ただ翻訳本の割には当時の日本人に解りやすいようにナイフを「匕首(あいくち)」と表現したり、パリにいるのになぜかギリシアが支那(中国)よりずっと遠いと説明したりで所々おかしいです。(地理的な矛盾は日本から見ての距離感なのでしょう)よくわからない表現は自分なりに解釈して小説のページに注釈を付けたりしています。とにかく刊行されたのが1941年なのでかなり昔の文法です。ライトノベルで慣れた人にはかなり手こずる小説でしょうね。(かくゆう自分も最近は小説を読んでいなかったので四苦八苦してます)でも今月はカラー原稿の仕事もあるので結構忙しいです。小説もなかなか読み進ませる事も出来ません。この日記もカラー原稿の合間に書いてます。そろそろ仕事に戻ります。僕のおススメの「ペリーヌ物語」見ていない方は是非ご覧ください。泣けます。本当に泣いてしまいます。でも高校生のときはペリーヌの気持ちがわかって泣いてたけど、今はおじいさんの気持ちが痛いほどわかって泣けるなぁ。もう年ですね~・・・。(汗)