古い修道院が取り壊される際に、
床下の納骨堂から22メートルもの長い髪を持つ少女の頭蓋骨が掘り出される。
それは200年前、狂犬病により悪霊が取り付いたとされる、
12歳の侯爵令嬢「シエルバ・マリア」のものだった・・・
魅力的な導入部で始まる、ガルシアマルケスの作品を読みました。
リアルな描写と豊かな幻想性。
植民地や奴隷貿易時代のラテン・アメリカ。
読み始めると
読むとこの世ではないどこか、
土と人の匂い、湿度と熱気のあるどこか
へ連れて行かれます。
この作品の一番の謎はそのタイトル
原題は「Del amor y otros demonios」
「愛」も「悪霊」のひとつなのでしょうか。
未知のものを恐れるキリスト教徒にとっての異文化、
黒人風俗、言葉が、悪霊なのでしょうか。
シエルバに惹かれていく神父カエターノの性的な欲求なのでしょうか。
この中でシエルバ・マリアが、
「愛はすべてを可能にするというのは本当なのか」
と聞き、父親が
「本当だよ」
「でも信じないでおいた方がいいかもしれない」
と答える場面があります。
物語の中で、愛は救いになっているのでしょうか。
シエルバは狂犬病でも悪霊に取り付かれていた訳でもなく、
周囲の人間の無知、無理解、恐れ、自己偏愛、
そういったシエルバを取り巻く全てのものが悪霊だった
のでは、ないか。。。?
どこまで行っても、人の無理解は尽きる事がありません。
やりきれないくらい切なく、悲しいです。
読んでいると、時間の感覚が狂ってきます。
この修道院の中での出来事の数々や神父との切ない恋に至る過程、
それは2ヵ月に満たない月日なのですが、
2年にも3年にも、もしかしたら5年にも10年にも相当するほどの量感があります。
客観的か物理的か数量的かの時間は、意味をなさないのでしょうね。
この物語の豊饒さを前にして、自分の言葉の陳腐さが情けなくなりますわ。
本のお話。ここまで。