カテゴリ:認識の歩み
西欧の中世文化が ようやく芽生える準備を始めたころ、 日本は後醍醐天皇によって、 天皇親政による専制国家という 近世の政治様式を目指しました。 しかし、 この建武の中興は容易に進まず 所領問題、恩賞問題の躓きで 失政してしまいます。 建武の中興は、北畠顕家の 「太平記」によると 紙幣の発行等の斬新な政策と、 皇族による武家の統御をも 目指したもので 公武二元社会の原型になるものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月02日 05時10分10秒
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