新政権に対する失望
新政権に対する信頼が失われていくときに、朝廷では、大内裏の造営を計画し、安芸・周防を料国に宛て、諸国の地頭にもその費用を課し、夫役を徴した上に、期日におくれるとそれを倍額にして徴収したので、新政に対する不満はさらに高まります。東寺領若狭国太良荘は、鎌倉時代の末、正安年間から関東御内領として北条氏の支配を受けていましたが、建武中興でその地頭職は東寺に返還せられました。太良荘の名主たちはこのような処置に喜悦の思いをしていたところ、その期待ははずれて、前代になかったような新税まで賦課され、農繁期にさえ苛酷な徴収を受けるに至ったので、その免除を東寺に訴えた文書が残っています。これは新政権に対する名字百姓等農民の期待と失望の様を如実に示しています。