室町幕府
室町幕府は、足利氏の将軍による武家政治機構です。足利尊氏は、九州から東上して光明天皇を立てた直後、鎌倉幕府の遺老二階堂是円(ぜえん)らに政治の大綱を諮問しました。その答申が一七条から成る「建武式目」です。建武式目では第一の問題となっている、幕府を元のように鎌倉におくか、それとも他所に遷るかについて以外に諸国守護大名のこと、庶民や寺社の訴訟のことなど、武家政治の核心的な問題もとり上げられていてます。尊氏に幕府開設の意志があったことは、はっきりしています。尊氏は、このとき高師直を執事、太田時連を問注所執事として、政治の局に当るものを定めています。ついで一三三八(暦応元)年、光明天皇から征夷大将軍に任ぜられ、足利氏の幕府は、一応形式を整えられました。しかし、吉野には南朝があり、足利氏内部でも内紛が絶えず、なお全国的政権ということはできませんでした。