心のイルミネーションを
心のイルミネーションを! 健一さん はじめまして。 日記を拝読しました。涙無しに、読めませんでした。1男2女を育てた父親の立場のせいでしょうが、義理のお父さんが遺骨を抱いていいかと、たずねられた場面で、いちばん落涙させられました。 息子の骨を抱くのを、嫁に許可を求める父親! それを差し止めようとする母親。 なんとやさしいご両親でしょう。こんな人たちに育てられたから、かっちゃんパパはすばらしい人になったのでしょう。 あ~さんままはあまりの悲しみの深さに、まだ真実が見えていない部分があると思います。 祖父母の愛情は、捨てがたいものがあります。これから、3人のお子様を健やかに、たくましく、人間性豊かに育てていく上で、おじいちゃんおばあちゃんの愛は、捨てるのはもったいない。 義父母さまに義理を尽くしなさいというのではありません。 鬼となって、3人のお子様を立派にを育て上げればいいのです。 クリスマスに、義父母さまにプレゼントを持って遊びにいかれることをお勧めします。 かっちゃんパパの面影を宿した3人のかわいいお子様を見つめるおじいちゃん、おばあちゃんのやさしいまなざし。それこそが、お子様の心を育てる何よりのイルミネーションだと、確信します。 無作法なコメントお許しください。 あ~さんままへの心からの応援メッセージのつもりで書かせていただきました。 (December 2, 2005 13:23:59)前回の日記へのコメントに、健一さんという方から初めての書き込みがありました。不意打ちを食らった気分でした。義父母への気持ちは、私のなかでもう数ヶ月硬化したまま、で、あえて義父母の息子を失った思いなど考えるまい、と目を背けてきたからです。読んでいるうちに、涙がこぼれてきました。70代も後半を迎え、病に倒れ、看護してくれた息子を失い、葬式にも出られず、すべてが終わってからその死を知らされ、退院してからも家ではかっちゃんの話をしようとしない義父。ぽつりと「…俺が病気さえしなければ………」と漏らした義父。義母だって、私からしてみれば許せない言動をしてきたけれど、会うたびにすまなそうな顔をしている。私は、そんな義母の表情に気がつかないふりをしてきた。気がついても「何を今更!あなたが看護に行っていれば、少なくともかっちゃんは家で最期を迎えられたし、三日もその死に気がつかないなんてことにはならなかった、第一、発作が起きたとき、私がそばにいれば助けられたかもしれないじゃないか。」って、意固地になって義母の心を踏みにじってきた。健一さんのおっしゃるとおり、私は自分の悲しみだけに閉じこもって息子を失った義父母の気持ちの「真実」を見ていなかったのだと思います。先日、私たちの仲人をしてくださったTさんが、義父母宅を訪問しました。Tさんは、義父がかっちゃんの遺骨に会いに行くまでは自分からは出向かない、と言っていた人です。そのときの様子をTさんに聞いたところ、義父はがっくりきている様子だったし、義母は「私が看護に行っていれば良かった」と漏らしていたそうです。老夫婦だけの生活。頻繁に立ち寄っていた息子夫婦は、息子の死以来、嫁はめったに来なくなってしまった。(義兄はたまに立ち寄っていると思うけれど)嫁が来ないということは、かわいい盛りの幼い孫たちも来ない。静かなひっそりと寂しい毎日。無口な義父。話し相手のいない義母。こんな生活は、かっちゃんが望んでいたものではないはずだ。だからといって、かっちゃんの生前のように接することはできないとは思う。夫婦仲が悪かったのかしら、という義母の発言は決して許せない。でも、そういうことも全部含めて、もう自分の中で硬くなった感情をどこかで溶かさなければいけないのだとも思う。今年のクリスマスは無理でも、年始の挨拶くらいは自然に子供を連れて、笑顔で行こう。これまでのようにお茶も飲まずにさっさと帰るのではなく、せめて話し相手になるくらいの時間を、義父母に割こう。それが今の自分にできる精一杯だけど、何年かたてばもう少し気持ちが溶けているかもしれない。健一さんのおっしゃるとおり、せめて来年のクリスマスには心のイルミネーションが灯せるかもしれない。人間は変わっていくものだよ。かっちゃんの言葉の通りに自分を成長させなかったら、あの人を好きになった甲斐がないじゃないか。健一さん。あなたからの言葉をできるだけまっすぐ受け止めようと思います。……ちょっと時間かかるかもしれないけど。ありがとうございました。