恨むのをやめマス宣言。(いや、やめタイ宣言かな?)
10月8日はかっちゃんパパが亡くなってからちょうど100日目。百ヵ日法要とかやるところもあるようで、ウチもいろいろ考えたけど、大げさなのはやらないと決め、家族だけでしんみりやろうか?とか思ってた。あれからも、当然来るべきだと思う義父は全く来るとも何とも連絡無し。なんなんだろう?許せないとさえ思い始めているんだけど、この百ヵ日でもうそういうのやめることにした。うまく言えないな、なんというか、恨むのに疲れたっていうか。義母が代わりに福島に行ってればとか、葬儀前後の義母の許せない発言とか(夫婦仲悪い発言とかお墓の方角発言とか)線香もあげに来ない義父のこととか、そういうことを自分の常識で量っていても仕方ないなあって。(充分世間の常識から考えてもおかしいことだとは思うが)なにより、かっちゃんがお父さんに会いたいのではないかなって。もし、ここにいれば、生前仕事を休んでまで看護に行きたいと心配していた義父に、きっと会いたいと思っているはずだ。結局そこが自分のポイントになりました。明日、義父母の所に電話して、10月8日、お線香をあげに来ませんか?私が車で迎えに行きますからって電話してみます。私、向こうから線香をあげに来るって言うまで、義母からいろいろなことへの詫びが入るまで、こっちからはノーアクションでいようと思っていた。でも、そういう意地を張っている限り、この分じゃあ、かっちゃんはお父さんには会えないし、私自身も向こうでかっちゃんに会わす顔が無いというか、なんというか。年老いてから頼りにしていた息子を失った老夫婦の気持ちを自分の意地を抜きにして、自分の心の情けの秤で考えてみることにして、どうすることが思いやりだろう?どこまでやってあげることが自分には許せるだろう?とか、こんちくしょ~~、でもやっぱり悔しいんだぞ、くそ~~~とか………ごちゃごちゃ悶々、イライラモヤモヤ………。さ~~~て、ここでもう、こういう宣言しちゃいましたので明日の電話をしないわけにはいきませんな。言った以上は必ずやりますよ。皆さん見ててくださいね。……現在、義父母宅で行われている老老介護を助けるつもりまではありませんが。(子育てで手一杯だもん)(そこまで面倒見るほど優しくない私)来年度のマナタンの保育園とお兄ちゃんズの学童保育、申込書の手配をしてきました。母子家庭なので、入園の優先順位は高いとのことです。住宅金融公庫のローンも完済しました。銀行口座も全て解約終了。ぶっちゃけた話、30年分のウチ、約20年分残ってたローンはチャラです。そういう保険に入っていたことで助けられました。私一人の稼ぎでは家のローンはちょっとキツイかなって思っていたので…。一個一個、夫の死後の事務手続きが終わっていきます。社会的に夫の存在は少しずつ消えていきます。NTTやガス料金の通知の名前も私の名義になって届くようになりました。100日が経つ、これが現状ですな。泣いてばかりの毎日はなんにも変わらないのにな。