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カテゴリ:起業のお話
「宝くじに当たった」とか、「楽して儲かった」、
「財産が沢山あって、働かなくても莫大な収入がある」等々、 大して苦労もせずにお金が入って来る状況が、 あなたの周辺にあるかも知れません。 それを、世間では「運が良い」という簡単な一言で 表現することが多いようです。 直裁的には羨ましく思えるかも知れませんが、 少し冷静になって考えてみると、 決して「運が良い状況」とは思えないところがあります。 例えば、経済的に裕福なお金持ちの家に生まれ、 甘やかされて何の不自由もなく育った子どもは、 「ハングリーな体験を出来ない」という、 極めて大きな決定的ハンディを背負っているのです。 そのハンディの大きさは、社会に出て、 数々の試練を乗り越えなければならない場面に直面した時に、 その人自身が身をもって気付かされるはずです。 ひもじさや冷たさ、貧しさの体験は、真の学びであり、 自分自身の心を鍛えて豊かにする原動力となります。 だからそんな体験ができる事こそ貴重なことだと言えます。 辛い思いを体験すればするほど、 人間としての幅は深まるものなのでしょう。 だから、私の周りにいる経営者の方々の中で、 尊敬に値するような生き方をし、 素晴らしい事業を展開している人たちは、 財産の多寡や宝くじ・パチンコのような偶然の輸贏(ゆえい)を 自ら口にすることは殆どありません。 ところが、逆に、 二世とか三世の経済的にも豊かな中で育った社長は、 「株でいくら儲かった」等々、 浮いた利益のハナシをよく得意気にすることがあります。 浮いた利益の元は、 自ら辛い思いをして築きあげたものでも何でもありません。 血を流す思いを積み重ね、苦労して築きあげたものなら、 浮いた利益のハナシなど出て来ることは決して無いだろうし、 そもそも、仕事や人生に、 間違っても一攫千金なんてあり得ません。 だから、尊敬に値する社長は、 腐ってもそのような事になど興味を示さないのでしょう。 改めて見回してみると、 経済的に失敗する人や 経営者として成功出来ない人の行動には、類似点があります。 運が良ければ...。 けれど、そんなに都合良く、 いつもいつも運が良いことが訪れることはありません。 経済的に失敗する人や経営者として成功しない人は、 自分の努力以外の、運の善し悪しに囚われてしまい、 本質が見えていないことが多いのではないでしょうか。 だから、失敗する習慣を、延々と繰り返しているのです。 一攫千金は、悪魔の囁き。 バクチと何ら変わりません。 それをさも得意気に周囲に話すなんて...。 収入の中で暮らすことの喜びが理解できない愚かな経営者に、 明るい明日が訪れるはずがありません。 <ご参考> 旗を振る人 -最も豊かな人とは- http://www.nbn.ne.jp/bellnet/sougyou/essay/h17/hata.htm 第二幕、第三幕の波紋 -「損をしている」と考えることをストップする- http://www.nbn.ne.jp/bellnet/sougyou/essay/h18/hamon.htm お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月26日 10時06分26秒
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