カテゴリ:北鎌倉〜鎌倉方面
端布を横段に接ぎ合せ、左右の無地の部分に、「背守り」や「紐飾り」に使われる模様が刺してあったのには驚きました。古来「背守り」は、子供達が無事に育つようにと、背縫いの無い一つ身の着物の背紋の位置に、魔除けの意味で縫い付けられたものです。「松」「「菱」「籠目(かごめ)」などの模様が使われました。 本来は五色の糸を揃えて縫います。我が家の孫のお宮参りの時の「かけ産着」にも縫い付けました。今では日本人でも知らない人が多い、こんな「模様」を使われた林アメリーさんにお会いしたくなりました。 ↑ バニエール(のぼり) 中世武士の「幟(のぼり)」ではなく、古い着物に 新たな生命を与える作者なりの方法」なのだそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑ 紅絹(もみ)の燃えるような緋色が ため息が出る美しさでした。 ↑ 「秋」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑「 扇子」 (部分拡大) 色とりどりの小布を扇型に接ぎ合せ 大きな作品に仕上げられていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑ タイトル「打ち掛け」 元は打ち掛けだったのでしょうか…。 染め模様が立体的に浮かび上がるように、 周囲をキルトの手法で刺してありました。 ↑ タイトル「アメリーヌ 5」1957年 ベージュ色の部分は150年前のノルマンディー地方の女性のナイトドレスの麻布。ブルーは布団や座布団として使った後に裏返して利用したもの。 ↑ 洋服に仕立て直したコーナーもありました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ↑「楽人の妻」・尾形奈美(乾女)作 昭和4年(1929年)帝展入選作 (階段の途中に飾られていた日本画) ☆尾形奈美 明治32年 六世尾形乾山を父として生まれる。画業を志し、昭和4年本作品が帝展に入選。戦後、バーナード・リーチの勧めにより陶芸に才能を発揮、乾女と号し人気をはくす。昭和50年代に当館敷地内に居住。平成9年に98才にて没。これにて乾山系譜は終了となる。(説明書より) ↑美術館の建物は「 コ」の字型に配置されていました。 奥の部分の2階の窓から、中庭を挟んで入り口方面を写しました。 ♣︎北鎌倉古民家ミュージアム 〒247-0052 鎌倉市山ノ内 392-1 最寄り駅:JR横須賀線 北鎌倉駅 徒歩2分 写真撮影、ブログ掲載の許可を頂き、掲載させていただきました。 一昨日北鎌倉へ行ったのは、この展覧会を観るのが主目的でした。とはいえ、内容を詳しく知っていた訳では無く、何の予備知識もなく気軽な気持ちで行きました。 ところが、入った途端、半端じゃ無い作品の数と、そのレベルの高さに驚きました。手仕事の確かさ(技術力)、色彩感覚、そのどれをとっても趣味の範囲を遥かに超えていました。 帰宅してから、作者は一体どんな人なのだろう?と調べてみて、初めて納得。半端じゃ無い経歴をお持ちの方でした。 昨日、和裁教室で写真を見せて話したところ、行きたい人が続出。かくして、私ももう一度行くことになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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