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2022.03.21
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☆あい 永遠に在り・高田 郁
・発行者:角川春樹
・発行所:(株)角川春樹事務所
・2013年1月8日 第1刷発行。

♣︎君塚あい
上総国山辺郡前之内村(千葉県東金市)の貧しい農家に生まれ、関寛斎(蘭方医)と結婚。幕末から明治を生き抜いた女性。8男4女を設けるも、6人を病気で亡くす。

第1章 逢
天保10年(1839年)上総国山辺郡前之内村。
人の記憶がどこまで遡れるのか、あいが5歳の時に見た情景は、後々までもあいの心に残り、折に触れて思い出される。その後の記憶がごっそり抜け落ちているが、少年の哀しみと山桃の姿が、あいの胸に刻まれ消えることはなかった。のちに夫となる関寛斎(*1)、その人との出会いであった。

第2章 藍
嘉永6年(1853年)、水無月。
江戸湾の浦賀沖に、ペリー率いる黒船が4隻姿を現した。佐倉順天堂で蘭医学を学んでいた関 寛斎は、前之内村に戻りあいと結婚。医院を開業するも、待てど暮らせど患者は来ない。ならばと、ときには佐倉順天堂まで6里の道を通い様々な外科手術に立ち会い、あるいは師に代わって執刀する事もあった。あとの日々は診察室に籠り、「順天堂外科実験」なる記録を認めて過ごした。

あいは得意な機織りで家計を支えた。これだけ精進している寛斎が、前之内村にいる限り報われないことが残念でならなかった。同僚が長崎へ留学すると聞き、前之内村で開業したことを悔やんでいた寛斎は、何ごとにもくよくよしないあいの姿から学んだことがあるようだ。

安政2年(1855年)、のちに安政江戸地震と呼ばれる大地震が起きた。寛斎は佐倉へ出向き怪我人の治療に専心した。幾日かのち師の佐藤泰然から呼び出しの文が届き、銚子で開業せよと、直々に勧められた。あいの願いが叶い、やっと家族3人で銚子で暮らせることになった。
銚子は豊穣な海と、醤油醸造で大いに賑わい、利根川を利用しての大量の物資が運ばれる、「江戸の台所と称されるほど豊かな町である。「関医院」の看板をかけたその日から、次から次へと患者が訪れる。前之内村の頃が夢かと思われるほどの忙しさだった。

あいは、朝餉の支度の合間、竹箒を手に表へ出た。日の出の刻を迎え、曙色に染まる東天は家々の瓦屋根を輝かせている。港の方からは威勢の良い声が響き、深く息を吸うと、塩と醤油の香りが胸一杯に流れ込む。郷里と異なる朝の光景に、あいは箒を手にしたまま、うっとりと見入った。
ふと、脇に人の気配を感じで視線を向ければ、面長の穏やかな風貌の男が微笑みながらあいを眺めていた。濱口悟陵(*2)と名乗り、寛斎の評判は色々と耳に届いています。ぜひ一度ゆっくり話をしたい。ついては診察を終えた後にでも家の方にお運び頂くようにお伝えくださいと、4、5軒先の邸宅の屋根を指し示した。

最初はお大尽から呼びつけられたと誤解した寛斎だったが、あいの勧めで出かけて行った。帰宅した寛斎は気持ちが高揚しているらしく、妻を相手にその夜のことを話し続けた。話が弾み、医学のこと、政のこと、西洋のこと、等々、悟陵との話は多岐に亘り、尽きることがなかったという。悟陵は37歳と若く、寛容で柔軟。歳が近い寛斎にしてみれば、より近しく思われるのかも知れない。いずれにしろ、移り住んだ町で良い出会いに恵まれたことを、あいは深く感謝した。

銚子と佐倉は、およそ14里(56km)。それでも治療に疑問を覚えると、寛斎は躊躇うことなく佐倉まで足を運び、恩師泰然はじめ諸先輩に教えを乞う手間を厭わなかった。寛斎の誠実な姿勢は、患者の信頼をさらに厚いものとし、関医院は銚子の町にしっかりと根を下ろしつつあった。あいは、近隣の女性たちと親しく交わるようになり、あいはあいの方法で、この地に溶け込んでいった。
貧しい者からは薬礼を取らず、質素な着物を纏い、雑穀混じりの米を口にして暮らしている。そんな夫妻の質実剛健な生き方は、銚子の人々に感動を持って受け止められた。

安政5年
台所の醤油が切れる頃になると、濱口家から新たな品が届く。そればかりではなく、最新の医療器具や医学書が頻繁に送られてくる。何かの形でお礼をしたいと、あいは刻を見つけて機を織った。寛斎より一回り小柄な悟陵に合わせた、美しい藍色の縞木綿であった。

将軍家定逝去に伴い、紀州藩主だった家茂が14代将軍となった。
長崎でコレラ患者が出た。腹を下し、吐き、コロリ、コロリと死んでゆく。抗いょうのない、恐ろしい病だった。今回は長崎で発症したのだ。蘭方医達が知恵を寄せ合い、事に当たるに違いないいう寛斎の言葉を聞き、あいはほっとする。
ところが、半月ほどあとのこと、飛脚が江戸にいる濱口梧陵からの手紙を、文字通り飛ぶようにして運んできた。文を持っ寛斎の手が戦慄いている。「あい、私は江戸へ行く」
江戸でコレラ患者が出たという。行かないで欲しいとの懇願を妻が口にする前に、寛斎は頭を振って先に封じた。「齢4つで、生母と死に別れたが、のちに、適切な治療を受けてさえいれば助かる命だったと知った。そのとき、石に齧りついてでも、医学の道へ行こうと決めた。助かる命なら、どんなことをしてでも助けたいのだ」初めて知る、夫の胸のうちであった。

魚を食べるとコロリにかかる、という噂が流れ、銚子の漁師の暮らしを直撃しかかった頃、寛斎が江戸から戻った。そして、コレラの予防法を書いた大きな紙を戸板に貼り、医院の前に立てた。錦絵を飾ることしか身を守る術を持たなかった人々は半信半疑ながらも実践してみることに決めたのだった。蓋を開けてみれば、江戸市中において死者はおよそ3万人とされるのに対し、銚子ではごく少数が罹患したのみだった。

安政6年(1859年)、春の宵のこと。
梧陵は、寛斎のお陰でこの地がコロリから救われたと、両手を畳について、深く頭を下げた。一方寛斎は、梧陵のお陰で、薬剤や医学書、資料など一切を揃えられたこと。また、優れた蘭方医の方々と親しく交わることが出来たことなど、どれだけ言葉を尽くしても感謝しきれないことを伝えた。

梧陵から勧められた長崎留学の話を固辞し続けた寛斎だったが、あいから梧陵の真意を聞いた寛斎は、長崎留学の話を受けた。
ポンペは、寛斎より一つ年上の33歳。4年前に来日し、以後、患者の治療と医学生の教育という二本柱を担い続けた。養生所には身分の違いによる差別は一切なく、どの患者も同じ扱いで、治療費は富めるものは銀6匁、貧しいものはその半分。極貧者は無料と決められていた。明けて、文久2年(1862)年1月に長崎を発った寛斎は、江戸に立ち寄り4月になってようやく銚子に戻った。

梧陵から更なる長崎留学の提案があるも、寛斎は断った。そして、佐倉順天堂で共に学んだ友から推挙された阿波徳島藩主、蜂須賀公の国詰め侍医を受けることに決めた。寛斎は「更なる5年の留学を終えると39。その間、年老いた親の扶養や子等の養育を人の金で賄うことが私にはできない。これ以上は重すぎる恩義は耐え難い。こういう風にしか、私は生きられないのだ」と、声を振り絞り、あいに話した。濱口からの申し出を断ることは最初から決めていたことで、御典医の話はたまたま転がり込んだ口実に過ぎなかったのだ。

第3章 哀
家族と共に徳島へ向かった寛斎は、この地に蘭方医学を伝えるため、いかなる努力もしようとしていた。
慶応2年(1866)11月、徳川慶喜公が大政奉還。
慶応4年(1868年)寛斎の理解者だった蜂須賀公死去。

第4章 愛
明治32年(1899年)
古希を迎えた寛斎は、あいに「息子のところへ身を寄せてほしい。ゆくゆくはこの家も土地も手放し、身一つになって、ただ1人徳島を出て、北海道に渡り、開拓に身を投じたい」
寛斎は家督を息子に譲り、札幌農学校で学ぶ7男又市の住む樽川へ移住するつもりであったのだ。
ー人たるものの本分は、眼前にあらずして、永遠にありー
寛斎の父俊輔がそうであったように、夫は、昔から「私」よりも「公」を重んじる人だった。あいもこの目で、その緑なす大地を見てみたい。「連れていってくださいな。私も一緒に。きっとお役に立てますよ。田畑仕事は、先生よりも私の方が上手ですからね」

作者はあとがきに、凡そ次のようなことを書いています。
あいに関して今日に残るものは殆どありません。手織り木綿の布地がすこし、着物一枚、帯締め、家族写真数葉、現存するものはそれだけです。あとは「婆はわしより偉かった」等の寛斎の言葉が残るのみ。その言葉に着目して、あいの物語を構築しました。
そして最後に、あいが夫に託した遺言は守られ、関寛斎、あい夫妻は今、陸別町を見渡せる小高い丘に一緒に眠っています」と。

♣︎関 寛斎(*1)
幼名・豊太郎、実在の人物。
文政13年(1830年) - 大正13年(1830年)。82歳で没。
幕末から明治時代の蘭方医。
幼くして母を亡くし、生母の姉の嫁ぎ先である関家の養子となる。18歳で前之村を出て、佐倉に出来た蘭方の医学校(佐倉順天堂)に入り、蘭医学を学ぶ。あいと結婚。26歳のとき銚子で開業。豪商濱口梧陵の支援を受け、長崎でオランダ人医師ポンペに近代医学を学ぶ。銚子を去り、徳島藩蜂須賀家の御典医となる。
戊辰戦争(1868年〜1869年)のときは、官軍の軍医となり敵味方なく治療に当たる。戦が終わったあと徳島に戻り、一町医者として庶民の診療、種痘接種に尽力し、慕われる。
明治35年(1902年)、72歳。一念発起し北海道に渡り、陸別町の原野の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの農地を小作人に解放することを望むも、家族に強く反対され、苦悩の末、大正元年(1912年)10月15日、82歳で没。服毒自殺。

♣︎濱口悟陵(*2)
濱口醤油醸造所当主。鷹に似た鋭い目の寛斎とはことなり、馬を思わせる黒目がちの優しい双眸のひと。紀州を大津波が襲った際、身を挺して稲むらにに火を放ち、闇を照らして高台へ逃げる道筋を示し、千人からの人を救った、その人である。



☆高田 郁
1959年生まれ。中央大学法学部卒。
小説家、時代小説作家。
主な作品
出世花、みをつくし料理帖シリーズ、銀二貫、あきない世傳 金と銀シリーズ他





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Last updated  2022.03.22 13:18:36
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