カテゴリ:本
・角川春樹事務所 ・時代小説文庫(ハルキ文庫)の書き下ろし作品 ・2019年8月18日 第1刷発行 ♣︎亀蔵 智蔵の友人。人形浄瑠璃の人形の遣い手。 ♣︎菊次郎 歌舞伎役者。菊瀬吉之丞の実弟。 ♣︎中村富五郎 歌舞伎の名優 火の扱いの厳しい江戸では内風呂を備える家は少なく、殆どの者が湯屋を利用する。広小路を歩く楽しみもあり、五鈴屋7代目であり、江戸店の店主の幸と、奉公人の竹の2人は、店から少し離れた湯屋を利用していた。江戸の湯屋は、貧富の差を問わず利用するため、様々な着付けを眺めることができる。江戸では帯の巻き方が逆だということもここで知った。 湯屋での幸と竹の遣り取りがが耳に入ったのだろう、中年女がふと、2人に目を移し、確かめるように注視したのち、話しかけてきた。 連れの女の子をさし、10日ほど前に、この子の晴れ着用の手毬柄の友禅を半反、買わせてもらった者だという。反物をかける「撞木(しゅもく)」を依頼した指物師、和三郎の姉の才であった。最初は贅沢だと怒っていたお才の亭主は、反物を見せたら、よほど出来栄えが気に入ってしまったらしく黙ってしまったという。それが、五鈴屋と染め師、力造との出会いであった。 掛け取りがない江戸店の大晦日は静かだ。揃って夜中に目覚めてしまった主従の胸には、この一年の様々なことが去来する。一つ屋根の下で暮らし、開店に向けてあらゆる知恵を出し合った。五鈴屋当主の女名前が許されるのは来年一年限り、新年も「笑う門には福です。笑って勝ちに行きましょう」店主の静かな誓願に忠義の奉公人たちは、へぇ、と声をあわせた。 毎月14日は、無料で帯結びを教える日であった。最初は遠慮がちだった女たちだったが、帰りがけには何度も何度もお辞儀をして嬉しそうに帰って行く。ただちに利を産まずとも、いずれゆっくり大きくなって戻ってくれば良い。店の姿勢を知らせる良い機会になると、幸は考えていた。 大抵の商家では、帳簿類に目を通すのは店主と番頭のみである。五鈴屋では6代目の要望で幸も加わった。7代目となった幸は、江戸店では4人全員が店の現状を把握できるようにと、お竹と賢輔も同席させた。 吉原廓と芝居小屋。江戸で暮らしている内に、せめて芝居小屋は覗いてみたい。智蔵の友人で人形遣いの亀蔵からは、菊次郎という名の歌舞伎役者を訪ねるようにとの助言をもらっていた。柔らかな考えを生み出すためにも、その菊次郎に会ってみよう、と決めた幸だった。最初は商売のために来たのかと思っていた菊次郎だったが、話を聞くうちに幸の気持ちが届いたようだった。 夕鯵売りの声を聞きつけ桶を抱えて飛び出した賢助が戻らない。惣次を広小路で見かけ裸足で追いかけたが見失ったという。竹も針供養の折によく似た姿を見たといった。彼は9年前に家を飛び出した五鈴屋の5代目であり、幸のもと夫でもあった。惣次が生きていたと分かれば、跡目が厄介なことになる。隠し通すことはできない。治兵衛と孫六の判断を仰ごう。冷静な2人は、今回もきっと良き方向に導いてくれるに違いない。幸は腹を据えた。 伊勢の白子に型紙があり、江戸には型付師と呼ばれる染め職人がいる。何故、誰も「小紋」と結び合わせることがなかったのだろう。江戸っ子にとって小紋染めは武家の裃のためのもの。だが、江戸なら、身分を超えて小紋染めを纏うことも、きっと受け容れられる。五鈴屋7代目はそう確信していた。型紙を手に入れる算段を始めたものの、型付師のあてはまだ見つからず、五里霧中の状態だった。 富五郎が演じる娘道成寺を見に、京へ行っていた菊次郎が戻り、五鈴屋に顔を出した。菊次郎の兄吉之丞が演じた清姫は、まさに当たり役であった。菊次郎は、江戸で上演される舞台衣装のうち、なんぼかを五鈴屋に任せられないかと頼んでみてくれたという。富五郎が戻ったら一遍連れてくると、上機嫌で店主に約束して帰って行った。 明日は十三夜という日の夕暮れどき、幸の妹の結が鉄助と賢輔に守られるように到着した。 小さな小さな鈴が一面に散らされている中に、少しだけ混じる心持ち大きめの鈴。しぼのある縮緬に染めれば、遠目には無地に見え、かなり近寄れば少しだけ大きな鈴に気づき、更に近づけば鈴紋だとわかる。他に洩れることのないよう、また、今後とも型彫りの仕事が頼めるよう、伊勢型紙の彫り師と約定を交わした上で、代銀を決めたという。番頭の判断に、幸は大きく頷いた。 五鈴屋固有の小紋染め、これから江戸店の屋台骨を支えることになる小紋染めの型紙なのだ。深く頭を下げる幸に、鉄助と賢輔は、巴屋さんや白雲屋さんのご尽力があればこそ、彫り師の梅松さんに辿り着けたのだと言った。また、小さい鈴の中に、少し大きめの鈴を混ぜることを賢輔に提案したのは結だと言った。 大阪へ戻る日が近づいたある日、本店の番頭、鉄助が、跡目の話を切り出した。「様々な事情が絡み、大阪では足掛け三年のタガが緩み始めている。足掛け三年を押し通して不都合が出た場合にどないするか、最も安易な解決策は、延長を許すということだす」といった。また「惣次が江戸にいたとなると、あとあと厄介なことになるのは明らかだ。五鈴屋が惣次のことを隠さず仲間に正直に相談したことで却って良い方向に向いた。それを受けて、親旦那さん(孫六)と治兵衛が何としても延長を認めてもらう方向で動いている」という。 未だ確定したことではないが、幸以上に奉公人を束ねる力のあるものはいない。これからも、7代目の仕事を我々にも支えさせて欲しい、と佐助ともども、膝に頭がつきそうなほど頭を下げた。 あと数日で神無月の声を聞く。鉄助が江戸を発つのは明後日に迫っていた。鉄助が幸だけに、これは未だ自分だけの考えだと前置きして、思いがけない話を始めたのだ。自分が8代目に相応しいと思う人の名を挙げたのだ。「今回の小紋染の段取りや働きを見ていて、五鈴屋の8代目に相応しいと、私は思います」と。 約束の日を過ぎても未だ型紙が届かない。自分で確かめてくるという賢輔を皆で窘めているとき、聞き覚えのある大阪訛りが、店の戸口から聞こえた。歌舞伎役者の菊次郎と、もう1人、目鼻立ちの整った男がこちらを見ている。幸の目に、堺町で見かけた歌舞伎役者の絵が重なる。歌舞伎役者の富五郎であった。一礼して名乗る幸に向ける眼差しが何とも暖かで優しい。初対面の筈なのに、まるで親しい人に向けるような、懐かしげな眼差しだった。さり気なく水を向けてみても、何も応えず、ただ穏やかに微笑むばかりであった。 霜月8日、黒塗りの挟み箱を担いだ、手甲脚絆に菅笠姿の男が、「四日市宿からの早飛脚でございます」といい、店の前に立った。 水害の被害があり、期日から遅れること半月、やっと受け取った型紙を、番頭の鉄助は早飛脚に託したのだ。皆が待ちに待った「伊勢型紙」であった。届いた伊勢型紙を神棚に祀り、音高く、両の手を打ち合わせる。 荷物の中に入れられていた、鉄助から幸に宛てた切り紙には、「師走最後の寄合で、惣次が江戸にいると分かったこと。延長の後の跡目の候補との二本柱で、天満呉服仲間の承認を取り付ける目処が立ちつつある。延長後の跡目のことは、治兵衛は渋っているが、孫六も、呉服仲間たちも皆、『それならば』と理解を示してくれている」と書かれていた。また、「船場の呉服商をまとめる大阪呉服仲間でも、足掛け3年の女名前を延長せよとの話が出ている」と補足されていた。 当初、高島店支配人の周助を跡目にと考えていた幸だが、周助はむしろ、もともと奉公していた桔梗屋の暖簾を引き継ぐことを望んでいるのではなかろうか。正式に延長が認められたら、周助とよく話し合おう。そう決めて、幸は切紙を畳んだ。 力造の女房のお才から、力造が小紋染めをやめた事情を聞いていた幸だった。力造は他の職人を紹介するといい、自らが小紋染めに戻ることを頑なに拒んでいた。けれど、「力造は型染にもどりたい。お才もまた、力造を型染めに戻したい」。力造の染めに対する矜持と本心を知れば知るほど、力造にこそ、鈴紋の小紋染めを作ってほしい、と強く願う幸だった。 帳場に戻り、密かに伊勢型紙を愛でていた幸の耳に、「おいでやす」というお客を迎える支配人の声が聞こえた。常と異なり声が裏返っている。お竹は腰を抜かさんばかりな狼狽えている。客は歌舞伎役者の富五郎だった。富五郎は稽古着用の反物を見立てて欲しいとやってきたのだ。支払いを済ませようと、懐から取り出した紙入れが、何とも美しい、目の覚めるような紫の紙入れだった。富五郎は紫草の根で染めた「江戸紫」という色だと教えてくれた。 店内を眺めていた富五郎の目に、薄紙から僅かに覗く鈴模様の伊勢型紙が見えた。許しを得て手に取って眺めた役者は、五鈴屋独自の小紋染を考えた経緯を聞き出して、しばし絶句する。そして言った。 「最初に染めたものを、江戸で産声を上げる反物を、是非とも譲って欲しい。来年の『娘道成寺』、舞台衣装ではないのですが、少し考えたいことがあるのです」 型彫師が精魂込めて彫り上げた型紙は、役者の心をうった。ならば、型付師ならどうか・・・。幸の熱意が頑なだった力造の心を解かした。 型を彫った植松と、染めた力造の想いをしっかりと抱きとめて、江戸紫の小紋は、そこにあった。歌舞伎役者は、仕立てに関しての細かな遣り取りを交わして、暇をつげる。帰りがけ、富五郎のはふっと唇を解いた。 「15、6年ほど前のことです、2人の友との出会いがありました。齢も近かったし、互いに若く、夢も野心もあって、それが心地よかった。歌舞伎以外の世界を垣間見れたのも、その友達のお陰でした」 「1人は人形遣い、もう1人は、心斎橋の貸本屋に居候しながら、こつこつと読み物を書き綴っていました」 幸は、顔色が変わるのが自分でも分かった。 そして、役者は、この度の娘道成寺は自分にとっても大きな賭けになること、亡き友のご縁に縋りたい気持ちなのだと。幸と竹の2人が着物の仕立てることに拘った富五郎の気持ちがやっと分かった。 如月25日。お練りの日。富五郎の姿を一眼見ようと集まった人々で、通りは大変な人出だった。 富五郎の着付けを待つあいだ、菊次郎は、今日は富五郎のお練りの日やけど、五鈴屋の小紋のお披露目の日でもおますなぁ。これから大変なことになりますで・・・」と言った。 座敷を出る時、「智やん、一緒になぁ」 富五郎の囁きは、幸と竹の耳に届いた。 ☆あきない世傳 金と銀(8)瀑布篇・高田郁 ・角川春樹事務所 ・時代小説文庫(ハルキ文庫)の書き下ろし作品 ・2020年2月18日第1刷発行 鈴模様の小紋が飛ぶ様に売れたが、麻疹が流行り店先から客の姿が消えた。江戸紫の小紋を、麻疹封じの鉢巻にしたいという母親に乞われ、手間賃を上乗せせずに切り売りにして売った。 初冬を迎える頃、ようやく麻疹が下火になり、晴れやかな物を商う店に活気が戻りつつあった。行き交う人の中に、「紀州御用 伊勢型紙」と染めた幟を手にした行商人の姿が見られるようになった。 大店だけでなく、多くの店が小紋染めを扱える様になった。幸は、商いへの影響を憂うより、多くの店が競い合うことで、友禅染めと同じように、小紋が広まってくれること方を喜んだ。中でも絶大な人気を誇る五鈴屋は人手が足りなくなる。いずれ大阪から手代をを移すまでの間、近江屋の好意で、壮太と長次の2人に通いで来てくれることになった。 開店から3年、年末までの売り上げの目安が銀千貫目となった。それは、江戸店を出す目安とした本店の売り上げの目安であった。 「衰颯的景象 就在盛満中」 「衰颯の景象は、すなわち盛満の中に在り」 ー衰えていく兆しというのは、実はもっとも盛りの時に在るー、という意味である。修徳の顔が浮かび、改めて気を引き締める幸であった。 いずれ、賢介を大阪に戻し結と夫婦に、と考えていた幸だった。けれど、竹の話を聞き、賢輔本人の意思に配慮が足りなかったと気付かされた。 長月、鉄助が江戸へ着き、賢輔に8代目を継がせることで纏まっていた話に親旦那さんから待ったがかかった。小紋染は今が正念場。賢輔抜きで乗り切るのは、賢輔にとっても五鈴屋にとっても惜しい。賢輔が五鈴屋の店主になるのは先にした方が良いと、思い直したのだという。 呉服屋仲間から呼び出しがあり、出向くと、「おかみから、近々、五鈴屋に対する上納金の申し入れがある」と告げられた。その額1500両。応じなければ、呉服屋仲間から抜けてもらうことになる、という。 支払うしか道は無い。 両替商に借入の相談に行った幸と鉄助の前に、思いがけない人が現れた。9年前に出奔したまま行方知れずだった惣次が、本両替商井筒屋3代目保晴として現れたのだ。 「上納金など、両替屋に借りてまで用意する物では無い。五鈴屋の暖簾を守りたいなら、知恵を絞りなはれ。悪い奴程阿保な振りが上手いよってに気をつけなはれ」と、言い、縋る鉄助には「私は井筒屋3代目保晴で、五鈴屋だの8代目など関係ないことだす」と言い置いて去っていった。 1500両の上納金は、年に500両ずつ三年分割でも良いと了解が取れた。 それでも、大金であることに変わりはない。 まず、上納金については幸自身、考えがあるといい、いま、五鈴屋で何ができるか、何か手がかりがないか皆で知恵を寄せ合うことが出来る。跡目のことは、賢輔に9代目を継いでもらいたいと考えている。小紋染のためにも、五鈴屋のためにも、あと数年は江戸で踏ん張ってもらいます。賢輔どん、あなたは経験を積んで、9代目店主に相応しい器におなりなさい」 番頭の鉄助は、まず自分で、相応しい器になれるよう踏ん張ってたあとで、継ぐか継がないか決めたら良い、と言葉を添えた。 伊勢から型堀師梅松が到着。力松の家に住むことになった。 立ち消えになったと、皆が思っていた両替商音羽屋との縁組が再燃。結本人も、この人と決めた人がいるとはっきり断った」。 干支の文字を彫った型紙が出来上がった。梅松と力造に無理を言い、皆に見せたいと一旦店に持ち帰って来た。神棚に上げて、その夜、幸は安堵から深い眠りに落ちた。 異変が起きたのは、翌朝である。 紅で「かんにん」と書いた紙片を残し、昨夜、神棚に供えた筈の型紙と共に、結が消えた。 ☆あきない世傳 金と銀(9)淵泉篇・高田郁 ・角川春樹 ・2020年9月18日 第1刷発行 ・ハルキ文庫書き下ろし作品、 手代の賢輔が図案を考え、型堀師の梅松が精魂傾けてて彫った、十二支の漢字を散らした紋様の伊勢型紙。今後の五鈴屋の命運を賭す大事な型紙が、結と共に消えた。賢輔との結婚が叶わないと知った幸の妹、結が型紙を無断で持ち出し、あろうことか、両替商の音羽屋に駆け込んだのである。途方に暮れ、詫びる言葉もない幸に、梅蔵は思いもかけない話を始めた。「私が彫った型紙、あの十二支の文字散らしの型紙は、五鈴屋以外の店が、あれで染めた反物を売り出しでもしたらえらい騒動になりますやろ」という。賢輔が書いた図案に、3箇所だけ別の字をいれたのだという。それは、「五」「金」「令」の文字であった。 音羽屋の妻となった結は呉服店を任されることになり、文字散らしの小紋が売り出されることになった。けれど、そのその三文字のおかげで、文字尽くしの小紋の本家は五鈴屋であることが知れ渡ったのだ。 訪ねて来た歌舞伎役者の菊次郎が、近頃江戸では一風変わった句合わせが、えらい人気で、こないな句が披露されてましたで、と言い、くっくっと肩を揺らして笑う。「本家より 分家が出張る 文字散らし」 今では「五、令、金」の文字が身の証を立てて、江戸中の者が五鈴屋が本家やと認めてる。何よりのことや、と菊次郎は鷹揚にに言った。 次々と厄介な問題に当面する五鈴屋に、又々新たな災難が降りかかった。 加賀藩に売った白生地100反が原因で、呉服仲間の怒りを買ってしまったのだ。 師走8日、その日は富久の祥月命日であった。寺は葬儀が行われており、幸と竹は人々が去るのを待ち寺門を潜った。偶然その場に居合わせた井筒屋3代目保晴を名乗る惣次は富久の次男であり、幸のもと夫であった。惣次は、五鈴屋が呉服仲間から外されそうになっていることを知っていた。 彼は、その昔呉服仲間から外され、潰れるどころか大きくなった店の例を上げた。京に仕入店を持つ五鈴屋では、仲間から離れても別段困ることではない。組合が必要なら自分で作れば良い。しばらくは商いを諦めることや。極めて真摯に、惣次は幸に伝え、ゆっくりと立ち上がった。そして、上納金のことも、今回の仲間はずれのことも偶然のことではない。早く気がついた方が良い、と。「・・・音羽屋忠兵衛」 幸の呟きに、惣次は口のはしを持ち上げただけだった。怒りの炎を双眸に宿したもと女房をじっと眺めて、惣次は軽く頭を振った。喋りすぎてしもうたなといい、本堂を後にした。 今年に入ってからの売り上げは悲惨な上に、木綿についても知恵の糸口も見つからない。引き伸ばし続けた大阪行きだった。近江屋の茂作が帰る時に合わせて、幸は8月中に江戸をたち10日ほど向こうで過ごしたら戻ってくることに決めた。葉月20日、茂作と幸、それに型彫師の梅松が同行して旅立った。江戸を発って19日、予定より早く一行は大坂の土を踏んだ。 7代目到着の知らせを受けて、次々に奉公人が現れた。新しい顔も多い中、成長した奉公人の姿をみつけて、幸は思わず呼びかける。賢輔の父親であり、もと番頭の治兵衛、親旦那さん(もと桔梗屋の店主、孫六)と相談もできた。治兵衛と孫六は、両替商の音羽屋が、なぜそこまで五鈴屋を狙い撃ちにするのだろう。だが、太物を扱わない音羽屋は、太物扱いに絞った江戸店を狙い撃ちすることは難しいだろうという。「深い淵の底で、泉のように知恵を湧かせてみたい」と言う幸に、治兵衛は満面の笑みを湛える。8代目の周助の嫁も決まった。綿買いの文次郎からは綿について知識をもらい、もと4代目徳兵衛の嫁だった菊栄にも会えた。菊江は、いずれ江戸へ出て、自分の名で、大阪では出来ない商いをするつもりだと言い、江戸で会いまひょうなぁ、と晴れ晴れと言った。 懐かしい人たちと会い、様々な知識を得、多くのことを学んだ幸。梅には「菊枝が鉄助らと共に江戸へ行く時、江戸までお供をしてもらえないかしら。江戸で待ってますからね」と言った。江戸で「太物商い」の花を咲かせよう。 長月22日、旅装束の7代目、江戸店へ回してもらえることになった手代と丁稚、それに型彫師の一行は、別れを惜しみつつ旅立った。復路は紅葉の只中であった。浜松で長月から神無月になり、予定通り20日で、一行は江戸に入る。 木綿生地に型を置き漬け染で染めると、柄がぼやけてしまう・・・。力造の試行錯誤は続いていた。風呂上がりに着る湯帷子としての浴衣ではなく、街中でも着られるようなものにしたい。幸は芝居小屋の役者たちが着る部屋着としての浴衣を思い浮かべていた。 生地の白をクッキリ浮き立たせるために、ぴったり重なるように両面に糊を置こうと、力造は躍起になっていた。けれど、小紋用の細かい模様の型では、模様がぼやけてしまう。「模様を大きくすればどうか」と言う幸の台詞に型付師夫婦と、型堀師が目を剥いた。賢輔が幸を庇うように「せっかくの藍染め、小紋では勿体ない、と私も思います。藍色地に、確かに麻の葉だと分かる白抜きの方が、藍染めの美しさが際立つのではありませんか」。藍染めは身分を問わず誰にも好まれること。両面が同じに染まる浸け染なら、裏返して縫い直せることなど、賢輔は柔らかな言葉で店主の想いを補う。果たして出来るかどうかと思案する力造と梅松に、幸は「丁寧に時間をかけましょう」と言った。乗り越えなければならないことが山積みであった。 明けて宝暦7年(1757年)如月16日、幸と賢輔は力造の染め場にいた。2人が固唾を呑んで見守る中、力造は片面に糊を置き、乾くのを待って裏にも糊をおき天日に干す。待つ時間は途方もなく長い。呼ばれて、幸は物干し場へ上がる。表の色糊と寸分違わず、ぴたりと重なった裏側の糊。幸は思わず、ああ、と声を漏らす。ころころと楽しげに転がる鈴たち、鈴同士を結び、柔らかな曲線を描く鈴緒。賢輔は声も無く立ち尽くしている。木綿のための型染めは、今、まさに産声を上げようとしていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.06.28 20:33:25
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