カテゴリ:久良岐公園
入った途端、思わずその場に正座。 圧倒的な存在感でした。 外観からは想像出来なかった広々とした空間でした。 舞台正面の「鏡板」は、 日本画家の重鎮であった平福百穂の筆によるもの。 芸術的価値は高いのだそうです。 とはいうものの この絵が描かれたのは100年余り前、 当時の姿は想像するしかありません。 「鏡板(かがみいた)」*注1参照↓ 能舞台の左側 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここからは能舞台の右手側 和室2間と茶室が並びます。 奥が、二間続きの和室 ↑ 和室一 床の間と違棚のある和室ニ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑ 玄関脇の小部屋 元は応接室だった様です。 この久良岐能舞台は、元は能楽会の囃子方育成のため、1917年、東京日比谷に建てられました。その後東京音楽学校(現在の東京芸大)邦楽科に寄贈。1964年、新たに能舞台が作られたため、この能舞台は解体。1965年、能学愛好家であった宮越賢治氏が譲り受け、この地に移築・復元。1984年に宮越氏から横浜市に寄贈。寄贈を受けた横浜市は建物と日本庭園の整備を行いました。庭園は散策に訪れる市民の憩いの場となっています。(久良岐能舞台公式サイ、施設紹介の文章を参考にさせて頂きました) 詳しくはこちらをご覧下さい。↓↓↓ 久良岐能舞台公式サイト→ 施設紹介・由来 *注1=鏡板とは 本舞台の正面奥にある、松の絵が描かれた板のこと。舞台上の音を響かせるための反響板としての役目がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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